近代建築
古くは仲哀天皇が滞在され豊浦宮(とゆらのみや)を興し政務を摂り、戦国時代には長府毛利家の城下町として栄えた長府。歴史あるまちの中心地からやや外れると、眼下に関門海峡を望む階段が。
下関市の近代建築めぐり、郊外にも足を伸ばしてみよう。長閑な田園風景にひっそりと佇む歴史の証人たち。
下関の近代建築巡り。かつて東アジア近代史における転換点となった条約を締結した地にて、昨今の国際情勢を嘆く。
「有田千軒」と呼ばれるほどの隆盛を誇った町並みは、文政11年の台風と火災によってほとんどが消失。復興の後、幕末期には洋館が建てられるようになり、昭和期の道路拡張を曳家などで乗り越えてきた町並みからは、実に多彩なエネルギーを感じる。 窯元の屋敷に…
17世紀初頭、豊臣秀吉による朝鮮出兵の際に連れ帰った朝鮮人陶工 李参平らによって泉陶磁器生産の始まった有田。 路地の先に覗く可愛らしい建物に心奪われる。
我が国における陶磁器生産の発祥の地として知られる有田町。 欧州でもその名を轟かせた「IMARI」「NABESHIMA」「KAKIEMON」を産出したまちには、町人文化が根付き、多くの商家が建ち並ぶ。 山間の静かな町並みに、かつての隆盛を見た。
門司区 風師地区の階段巡り、公園の名前などに何故か残る他国の地名…疑問を思い浮かべながら歩く。
数多くの偉人たちを排出し、日本の近代化を牽引した長州藩。 新時代を築く礎となったのは、その「教育水準の高さ」と「人材育成」にあった。 藩校 明倫館の跡地に建つ日本最大の木造校舎で、維新のロマンに想いを馳せる。
下関のウォータフロント、唐戸エリアに多く現存する近代建築群。 再開発によって変わっていく街の中で、往時の威容を残したまま変わらぬものたち。
日本の歴史が動くとき、幾度となく表舞台に登場した下関には、今なお多くの歴史的建造物が残る。西の玄関口として、交通の要衝かつ瀟洒な港町でもあった唐戸周辺の近代建築群を見ていこう。
決してアクセスは良くないながらも、その泉質の良さは温泉マニアも唸らせる名湯、一の俣温泉。 周辺のスポットも合わせて見ていこう。
三年寝太郎の伝説が単なる昔話ではなく、史実として残るまち、厚狭。 寝太郎が築いたとされる堰から引かれる疎水によって、かつて一面に広がったという水田地区を逍遥。
明治後期から国際貿易港として栄えた門司港。 最盛期は50軒近くもの高級料亭が軒を連ね、それらをして「不夜城」とまで言わしめた。 清滝地区には、政治家や財界人も度々訪れた料亭や旅館などが多く見られたが、そのいくつかは現在でも残り、在りし日の隆盛を…
宇部の発展のシンボル、普段は立ち入ることのできない屋上へ。近代建築の巨匠 ル・コルビュジエの影響を強く受けたと思われる、優美な曲線に酔いしれる。
質の高い部材によって築き上げられたホールは、竣工から80年の歳月を経ても、その風格は衰えない。 宇部市を象徴する名建築のディテールに瞠目する。
建築家 村野藤吾自身が「私の出世作」と語る渡辺翁記念会館。 宇部市発展の礎を築いた渡辺祐策の功績を称え建築された、今なお市のシンボルとして愛されるホールのデティールを探り、村野と宇部市との深い関わりを見ていく。
セメント町から南中川駅方面へ。道中に小野田セメントゆかりの近代建築を眺めつつ。