最近、たまにFBでトマソンの写真をアップしたり、ツイッターで毎日トマソン呟いてるせいか、メッセンジャーやらDMなどで「コレはトマソンですか?」とか「このトマソンどうッスか?」とか「トマソン探しのコツを教えてください」とかよく聞かれるようになりました。別にぼくはトマソン鑑定士ではありません(笑)
しかし楽しいので、今後も皆さんからの情報提供お待ちしております。
近頃ではコロナ禍で人の集まるところに行くのが憚られるのもあって、蜜にならないように遊びたい…と考えた結果、トマソンを探すために出掛けたりしてます。路上観測というか、建築物はもちろん、路地裏や赤線後、坂道、階段、レトロ商店街、看板建築、B級スポット、廃墟に廃屋、落とし物…etc.なんかが昔から好きなのです。んで現在までに撮り溜めてたトマソンの写真がかなり溜まってきたので、ちょっと公開して見てもらおうかな、ぐらいの軽い気持ちで載せはじめました。
いやいやちょっと待てよ、知ってる前提で話を進めてるけど、そもそもトマソンって何よ?人の名前?って方もいらっしゃると思いますから、少し解説してみたいと思います。
前衛芸術家・作家の赤瀬川原平の言うところの「不動産に付着していて、美しく保存されている無用の長物」のこと。「超芸術トマソン」とも。1972年、赤瀬川は街を歩いていると、上がった先になにもない階段を見つける。彼は街にある用途のない物の存在が芸術ではないかと考え、「超芸術トマソン」と名付けこれらを収集し分類する活動を始めた。ほかの事例としては、入り口が塞がれた門、庇うものがない庇などが挙げられる。……
ぼくは赤瀬川原平氏の熱心なファンではありませんので、全ての著書に目を通しているわけではありませんが、「超芸術トマソン」(筑摩書房、1987年)おいては、「必ずしも不動産的物件に限るものではないが、要素として不動産的物件に付着していることが多い」的なこと書かれてたような気がしますが…
さて、ぼくが初めてトマソンを意識したのは遡ること10年ほど前、当時よく行ってた服屋さんにて。
そのショップは、昔の役場を改築した趣のある建物でした。買い物を終えて駐車場へ向かう道すがら、視界の端に写ったものに違和感を覚え、ショップの裏手を見やると…
いました、彼が。
トマソン選手です。
当時は「トマソン」なんて名称を知りませんでしたから、あのドアは何に使うんだろう?ぐらいにしか思っておりませんでしたが(上記の写真は昨年撮影したもの)、翌日もあのドアのことが頭から離れない。その翌日もなんかぼんやり気にしてる。そのまた翌日は…忘れちゃいそうだったので調べましたら、「トマソン」に行き当たったわけです。これが私とトマソンの出会い。
……「トマソン」という名称は、元読売ジャイアンツ選手の「ゲーリー・トマソン」に由来する。彼は当時高額の助っ人選手として雇われた四番打者であったが、毎度空振り続きであった。その役に立たない様子を皮肉って、彼の名前がこの名称として用いられた。…(中略)…トマソンの概念は、芸術と非芸術の境界を模索する当時の前衛芸術の流れを受けたと言え、「超芸術」とは作り手に無意識につくられ、観察者が発見することで初めて芸術になるという点で、創作意図をもってつくられる「芸術」とは区別される新しい概念と言える。……
閑話休題。
つまるところトマソンは概念上の存在のようなもので、明確に定義されるべきものでもなく、むしろ非常に曖昧なものですから、本当にトマソンかどうかなんて実のところ所有者にもわからないかもしれません。また、仮にトマソンだったとしても面白さとか不思議さとか不気味さとかか侘び寂びとか、何らかの魅力を感じなければただの凡作です。真贋よりもこれ重要。
もちろん芸術性を第一義に作られたものなど対象外。
芸術とゴミとの間に漂い、偶発性が生み出すスキマ産業、それが超芸術。無意識を見つめる意識の美しさこそがトマソンのトマソンたる所以。
まぁとりあえず赤瀬川原平氏によるバイブル、「超芸術トマソン」は買っといて損はないと思います。得にもならんけど。
トマソンの代表的なジャンルについては、いろんな所で解説されてますので調べてみてくださいね。
ここでは複合型物件、つまりジャンルを超えたクロスオーバー作品について、実例を交えながら紹介していきたいと思います。
- 高所ドア + 影タイプ
いきなり大物。これはぼくの住んでいる下関市にある物件なんですが、国内でも屈指の名作だと思っております。
コンクリの塗装面と地肌のコントラスト、すべて異なるも均整の取れた建具の配置、この物件のみ両隣に建物がないという特別感…文句なしの美しさ。
- 無用門 + 無用階段 + 庇
比較的発生しやすいとされる無用門(無用ドア)と庇の組み合わせですが、おまけに小さな無用階段も。多くの直線で構成される構図の中に、室外機のファン部分の円が映えます。
全体的に落ち着いたトーンが大人びた印象の作品ですね。
- 生き埋め + 阿部定
ジャンル名だけ見るとなんとも物騒な感じですが、施工の際にもうちょっと丁寧な仕事が施されていては生まれ得なかったであろう物件。
生命の力強さを感じずにはいられない、そんな作品。
ここからは多重集合的物件(と勝手に名付けてみた)、要は同じジャンルの重ね合わせによって主張を増した事例を紹介します。音楽で言うところのオスティナートですね。
- 高所ドア × 3
怒涛の3連高所ドア。高所ドアの重複も比較的発生しやすいものではあるが、こちらはドア1枚ずつが違った表情を魅せるのがニクい。
- 生き埋め × 2
ぱっと見ただけでは塀に電柱が埋まって見えるだけだろうと思う。少し寄ってみよう。
なんと街区表示板も埋まっていたという2段構え。
遠くから観測するだけでは気づくことはなかった。いったん足を止め、1つのトマソンをじっくり研究する重要性に気づかせてくれた物件である。
お次はどのジャンル分類すべきか分からない物件、トマソンかどうかの判別が難しい物件、新たな役割を得てトマソンから昇華(大衆迎合、もしくは俗化とも考えられる)したものについて見ていこう。
- 壁面にトイレットペーパーホルダー
影タイプのある壁面にぽつりと残されたトイレットペーパーホルダー。強いて言うなら「内面」に分類できるか?この場所に建っていた物件のトイレがここだったのだろうと推察できるが、なぜこれだけ残したのか?
謎の取っ手
柱に付着した衣類。何かの取っ手部分を覆っているように見える。「でべそ」にもまったく使途不明。
しかしこの物件について考えを巡らせている時間こそが超芸術なのだ。
- 人工影タイプ
もともとこの場所にはタバコ屋さんがあり、取り壊された時点で影タイプが発生していたと思われる。しかしそれを快く思わなかったのか、隣のビルのオーナーは外壁塗装を施し、そればかりが家屋の形を描いてしまったようだ。
しかしどうしてなかなかセンスが良いではないか。美しくない超芸術より美しい純芸術だな。個人的には大好きです。
- ディスプレイ(無用)階段
スナック脇に張り付いた無用階段、ここには十二支が鎮座する。
数年前は簡易的な塗装にとどまっていたが、昨年末に訪れたところ、キレイに塗り分けられており、以前にも増してディスプレイとしての様相を呈していた。
ちなみにスナックの反対側は…
人工(おそらく)ディスプレイ階段。
さて、ここまでトマソンの概説と、変形パターンについて実例を挙げながら紹介してきた。この記事を書くためにPCのトマソンフォルダを漁ってみると、ぼくが初めて見つけた役場の高所ドアの写真が見つかったので(当時は意味が分からないながらも記録のために一応撮っておいた)、これを振り返って締めとしたい。
他人にとってはどうということのない高所ドアですが、ぼくにとってはトマソン観測の記念碑的な作品です。
それでは。
*1:出典 : トマソン | 現代美術用語辞典ver.2.0
*2:出典 : トマソン | 現代美術用語辞典ver.2.0