交通の要衝、在郷町として栄えた厚狭。
賀茂社の荘園であったとされるこの地には、かつて鴨川と呼ばれた厚狭川が町を横切る。川に架かる橋は鴨橋といい、京に倣ったまちの名残を今も残している。
前回の記事
今回は千町商店街から鴨橋を渡り、本町商店街へ。
鴨橋の上から。以前は石の欄干であったような気がするが、ここ何年かで付け替えられたようだ。
奥に見えるのは山陽新幹線。ちなみに厚狭駅には「こだま」しか停車しないのは、前回もお伝えしたとおり。
屋根の大きい建物は釣具屋さん。この隣には、朝鮮出兵の際に秀吉が一泊した枝村家の離れ「枕流亭」があったが、2010年頃、すぐ近くに移設された。
なまこ壁を持つお茶屋さん。
このあたりでは、「おひなさまめぐり」という行事が毎年3月に行われているようであったが、この時勢で今年は中止のよう。
お茶屋さん横の公衆電話脇に、小粋な飾り。
東へ。
歴史ある町には酒蔵がよく似合う。
右手に見える「男山」は永山酒造。山口県にはもう一つ永山本家酒造場という別の酒蔵があって、そちらでも「男山」の銘を持つ酒がある。この2子はもとを辿れば同じ蔵だったのだが、いろいろごにょごにょ。
ちなみに、永山本家酒造場の本社も国の有形文化財に登録される素晴らしい木造建築である。またの機会に紹介したい。
重厚感のある建築は何の建物だったのだろう。現在は日本棋院山陽支部として使われている。
こちらも造り酒屋だったそうな。
ここらで雨が降り出したため退避…しようと思って一旦駅方面に戻りかけたが、脇の路地が気になりすぎて、濡れながら散策を続行。
控え目な意匠ながら存在感のある建物を発見。
昭和初期ぐらいの建築だろうか?
白飛びしてしまってよく見えないが、「山下記念 厚狭図書館」と書いてある。
周辺をぐるぐる回ってみるも、近くに案内板等が無いため詳細は不明。
帰宅後調べてみると、昭和8年に建てられたものらしく、老朽化のため近日中に解体が決まっているそう。しかもこの撮影の前日におよそ50年ぶりに2日間だけ一般公開やってたんだと!残念…(T_T)
他にも素敵物件ありましたよ、素敵な理容室跡とか…
美容室跡。
いい…。
「局」?もしかして…
「薬」。やはり。
薬局。この窓の配置はモダニズム建築のよう。
美祢線の線路沿いの一角には、「廃」になってしまっている一帯があった。
赤い塗料は痛むのが早いからあれほど使うなって言ったのに(言ってない)…
さて、2回に渡って紹介してきた厚狭の駅前だが、自宅にてこの商店街のことを調べているうちに、素敵な建物の写真を発見した。
(写真撮影 : 坪井杉雄 様、写真提供 : ひがんばな 様 ありがとうございます!)
「厚狭湯」。なんとエレガントな姿だろうか。
ただの銭湯にしてはやや豪奢な建物に見えるが、もしかして上階で宿泊ができたとか?
前回紹介した廃旅館「たつみ荘」のあたりにあったようで、まわりにはこのような近代建築が建ち並んでいたようである。
現地の人に聞き込みしてみたところ、このまちには芝居小屋や大きな呉服店もあったというから驚きだ。
往時は半宿といえど、本宿と変わらぬ賑わいであったと伝えられる厚狭のまち、この日の天候も相まって寂しげな印象が強く残る散策となってしまった。しかし、古い町並みの中に、若者向けのブックカフェや老舗和菓子屋のイートインスペースのリニューアルなど、新たな風を感じた気もする。
山陽新幹線が厚狭駅に停車するようになって20年が経つ。山陽新幹線の駅の中でも停車本数は最小だ。旧街道の分岐点であったこのまちは、今まさに繁栄と衰退の岐路に立っているのではないだろうか。この先もその選択をしっかりと見ていきたい。
見ていきたい。
それでは。