旧山陽道、萩藩領の宿場町として栄えた船木市。
現在も古い町並みが残っているこの地には、全国でも珍しい清酒醸造を行う神社があり、その歴史は神功皇后の時代にまで遡る。後に宇部や小野田の産業が発展するまで、厚狭郡の行政の中心であった。雨上がりの街道筋を歩く。
三韓征伐の際に、神功皇后がこの地にあった大楠の木を用いて軍船を製造したことから、この地は「楠町」「船木村」と名付けられた。
大正以降、小野田や宇部が日本を代表する工業地帯として賑わうにつれ、船木の町は衰退していくが、国道が迂回したため古い町並みは残されたままだ。
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さて、ここから歩いて行こう。
漆喰塗籠の町屋が残っている。虫籠窓ではなく、四角い窓が特徴的。
いきなりテンションの上がる建物に出会ってしまった。
看板部とショーケース・タイル部で異なるカーブを見せるタバコカウンター。
独特なフォントと、さり気ない装飾…
剥がれ落ちた部分や、補修のため?に貼られたタイル風トタンさえ愛おしい…
側面には色褪せたホーロー看板。外壁木材とのコントラストもいい。
上を見上げれば「ドンキーホーン」。なにそれ?
いまなお営業中の精肉店。
ずっと見ていられる眺めだ。
防火壁とシンプルな鏝絵。上下窓もある。
往時の繁栄の名残は残るものの、喧騒はほど遠く、長閑な町並みが続く。
町家風の建物とは趣を異にする近代建築然とした佇まいは、手を加えられてはいるものの重厚な雰囲気は損なわれていない。エントランスの柱が見事だ。
平入り、妻入りの建物が混在する。
空き地もぽつぽつと見られる、
こちらは煉瓦塀で囲まれた一角。
反対側に回ってみると、トマソン化した石橋と勝手口。塀の十字の透かしの優美さに唸らされる。
横を見ると水路と細い路地。本通りの南北は水路に挟まれている。こちらは後で訪れたい。
ひとまず本通りへ戻る。
立派な蔵も丁寧に保全されている。
大木森住吉宮。楠町の由来となった大楠はこの境内に。太鼓橋で滑らないよう気をつけられたし。
かつてこのあたりには貸座敷が軒を連ねており、布目遊廓と呼ばれた。娼妓の数は100人にものぼったとされているが、現在ではその名残は残っていない。
まちの鎮守たる住吉宮には、芭蕉の俳句塚があり、「春立つてまた九日の野山かな」と刻まれている。
本通りの端までやってきた。急に平成初期の雰囲気のするおもちゃ屋さん跡が現れる。
さて、今回はここまで。
次回は本通りと並行する、水路に沿って路地が細い伸びた裏町の通りを歩く。
つづき
それでは。