現在の新天町〜錦町のあたりには、かつて遊廓が存在していた。明治期、まだ老松町という町名だった頃に成立した遊里には、多くの妓楼や飲食店が立ち並び、夜の街を華やかに彩ったが、今ではすっかりセピア色に褪せてしまったかのような町並みに。
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大正に入ってからは見番が置かれ、全盛期には貸座敷が23軒、娼妓の数は130とも170とも言われている。現在は「いかにも」といった建物はかなり少なくなっているが、昭和に栄えたころの名残か、看板建築やバラック飲み屋街がところどころに見られる。
上記の過去記事内にも少しカフェー建築っぽいものが見られるが、もう少し進むと、より増してくる昭和感。
錦町商店街。ここから南西方面へ少し進んだ昭和町のあたりを散策した。
人面のような看板建築。鼻に筋が通っている。
茶色の建物にコーラの看板とポストの赤いアクセント。
高層マンションの足元に、取り残されたままの昭和。
シンプルだが味がある。こういう存在になりたいね。一番右の「スパンキー」ってのは宇部市内で昭和に流行って何店舗か経営してたフレンチドッグ屋さんらしい。
フレンチドッグってアメリカンドッグのこと?
よく見たらフレンチドッ"ク"になってんな。
外壁と車の色がおそろい。
お花屋さんの向こうに、何やら楽しそうな物件。
第一会館。遊技場も大型化が進んでるのか、こういう「まちのパチンコ屋さん」みたいなの見なくなりましたね。
向かいにあった駐車場も廃墟化。奥に見える燃えちゃったような廃墟も気になります。
元料亭かな?書体がいいですねぇ。
おや?なんか違和感。
んー、これもしかして川を埋め立てた?かと思って調べてみたら、どうやら草の生えている部分に線路が通っていたようでした。
「東見初専用線」と呼ばれたこの跡地は、かつて美祢市からセントラル硝子宇部工場に石灰石を輸送するための引き込み線だったらしい。
線路跡沿いにはバラック建築が多く並ぶ。煉瓦塀のこのお宅(恐らく廃墟)には煙突が残っていた。
あー、いい抜け道だなぁなんて思って数歩歩くと…
!?
!?!?
!?!?!?
「一丁街酒場」。周辺の建物が更新されようとも、我関せずとでも言いたげな雰囲気で佇むバラック飲み屋街。
どうやら殆どが今でも営業しているらしい。
昭和の香りを色濃く残す。
ともすると気づかず通り過ぎてしまいそう。「とも」だけに。
まだまだあります味わい深いスナック。
ああ、もう…シブ過ぎて涙が出ちゃうね。
控えめな入山形と「わ」。
さて、今回はここまで。
次回も周辺のスナック街を見ていこう。
つづき
それでは。