宇部市発展の礎を築いた渡辺祐策の功績を称え建築された、今なお市のシンボルとして愛されるホールのデティールを探り、村野と宇部市との深い関わりを見ていく。
「共存同栄」の理念を掲げ、企業だけでなく皆が幸せになれるようにと、宇部興産の全身である沖ノ山炭鉱を創業した渡辺祐策翁。私欲なく、ひたすらまちのため、国のため、社会の発展に尽くした実業家が逝去すると、氏の関連する7つの企業により「渡辺翁記念事業委員会」が発足、1937年に渡辺翁記念会館が竣工、宇部市に寄贈された。
ちなみに渡辺祐策の邸宅はすぐ近くの島地区にあるが、こちらも過度に豪奢だったり派手ではなく、氏の質実剛健かつ謙虚な人間性が伺える。
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戦前のモダニズム建築として、最高傑作の一つとして中外からの評価は高く、村野の設計した建築としては初めて国の重要文化財に指定される。
ファサードは塩焼きタイル貼り(竣工当時のものではないようであるが)。
曲率の異なる3重の壁によって構成される。
ホールに向かって正面、中央の石壇と左右に3本ずつ並ぶ列柱は、前述した渡辺翁の関連した企業(沖ノ山炭鉱、宇部窒素工業、宇部セメント製造、宇部鉄工所、宇部電気鉄道、新沖ノ山炭鉱、宇部紡績)の7社を表す。
余談だが、真正面からこの左右6本の列柱を撮影しようとすると、パノラマ撮影でもしない限り収めることができない。引けば街路樹が写り込み、寄れば超広角と呼ばれるレンズでも収まりきらない。
エントランス左部にはチケットカウンター跡とつるはしを持った鉱夫のレリーフ。
これが昭和以前の社畜か…
反対側にもハンマーなどを持った鉱夫。
1階ホワイエ。
フラットスラブの天井を支えるのはマッシュルーム型の大理石張り円柱。グラデーション部分が美しい。
この柱については、同市にある長生炭鉱のピーヤ(海底炭鉱における排気・排水筒)をモチーフにしたのではないかと思われるが、いかんせん裏付けする資料が見つからないのよね…
装飾が美しい木製のベンチ。
背面には構成主義的なモザイク画。村野がデザインしたのか定かではないが、「未来の宇部」らしい。
はたして現在、誰かが思い描いた「未来の宇部」は実現できているのだろうか…
背面は階段室。
反対側も同様に。装飾のあるパネルは階段室とのパーテーションも兼ねている。
階段室後ろのアール。
このホール、細部まで一切抜かりがない。
1階ホワイエからホールへ。
ステージ上から。客席の収容人数は1,353席(1階837席、2階516席)。
天井部は逆スラブ構造。
音響にこだわったホールということで、メニューインやコルトー、ケンプをはじめとする世界的な演奏家がたびたび公演を行っていたようだ。
ぼく自身小さい頃から何度も演奏してきたホールであるが、現代の感覚でいうと他のホールと比べて特筆する音響特性ではないように感じる。残響はかなり長い。あと楽屋の使い勝手…💦
ステージはプロセニアム。間口が18m、奥行きは12m。開館当初はオーケストラピットもあったようであるが、舞台拡張の際に姿を消した。
ステージ両端の大臣柱は固定されている。
ん?
ほぁ!?何度も使ってるのにこんな意匠初めて気がついた!
鷲と十字をモチーフにした装飾。
柱の壁面にもナチスの影響を受けたと思われる装飾が。
ペンダントライトは電球の交換が大変そうだ…
透かしによって浮かんでくる模様がホール壁面で踊る。
さて、今回はここまで。次回は2階に昇ってみよう。
それでは。
つづき