中世は海上交通の要衝として、江戸時代は古式捕鯨によって栄えた集落、通(かよい)。
伝統的な古民家が今なお残る漁師町を歩けば、鯨とともに生きたまちの歴史と文化が見えてくる。
前回の記事
前回の最後の階段を登った先で見つけた井戸。
奥にあった井戸は釣瓶とネコチャン付き。
取り壊されてしまった家屋が目立つなぁ…と思っていたらみすゞの父、庄之助の誕生の地だった…
かなり狭い通りにあってひときわ存在感を誇るのは、網頭であった早川家住宅(国指定重文)。
漁家の国の重文指定は2件しかなく、非常に貴重なものらしい。一度内部を拝見してみたいものだ。
海沿いへ出てみた。見慣れた配色のバスが往く。
釣り人も多い。
こんなバス停で待つ青春時代を送ってみたかった…
沖合に何らかの建造物。
洋上の鳥居。ぽつんと。
再び集落内へ。
湾に沿って伸びる本通りから横に逸れる道は、殆どが坂道。
寺院へ至る階段。
円座のようになった部分に井戸。
今回、最も心を打たれたのはこの小径。
かつてのメイン通りよりも東側、少し坂道を上った先に細く伸びる住宅地。
あの日にかえりたい…(どの日だ)
なんか雑に基礎を残した空き地を見つけた。
家々の間からは、階段を降りてすぐに海にアクセスできる。
船溜まりになっていた。
道中であった老人から、「そこの廃屋をすぎると浜になってるから行ってごらん」と声を掛けられたので倣ってみる。
こちら側は日本海に直接面しているため、湾の方から歩いてわずか2,3分ほどで全く異なる雰囲気へと変わる。
波がパーン。
どのお宅の間からも海へと降りられる。
潮の匂いと、波の打ち付ける音。
日本海ならではの風景。
かわE。
くじらの墓。漁師たちが母鯨の体内で脂肪した子鯨を哀れんで、墓を建てて供養した戸言われており、鯨の位牌や過去帳が残されている。国指定の史跡。
くじら資料館。案内板には次のように記される。
藩取り立ての鯨組として誇り高き浦人たちは、決して心やすらぐことはなかったのである。 鯨によってもたらされた恵みに深く感謝しながらも、哀れみを抱くという複雑な思いにとらわれていたからである。 特に親子の情愛の深い母鯨が我が子を喪くして発する、もの悲しい泣き声を耳にして、胸がしめつけられるような思いがしたのであろう。 このようなことから、鯨にも人間なみの手厚い供養がなされ、現在にいたっているのである。
ここに展示されている捕鯨用具・漁業用具や生活用具等は、単なる道具の陳列としてではなく、やさしい浦人たちの心情、 生活、文化の匂いがしみこんだ資料としてみていただきたいと思います。
海に生き、鯨に感謝してきた人たちのいきざまを記憶にとどめる写真コーナーを設けました。 クジラと人間との鎮魂の歴史として、心温まる思い出を持ち帰っていただけるものと思います。
「命の大切さ」と、 世界の70%を占める海の恵みや鯨とどう向き合うか考えさせられる施設である。
ここにも良い坂道が…。
さて、今回はここまで。
それでは。