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萩市 : 城下町の町並み(1)

関ヶ原の戦いに敗れ領地を厳封された毛利輝元は、広島から移り萩の指月山にて築城。以来250年以上にわたって城下町として繁栄したまちに色濃く残る、江戸時代の情景。

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嘗て津和野城主の吉見氏が出城としていた指月山。

毛利輝元が築城の候補とした山口や防府ではなく、この地に築城した経緯については諸説あるが、三方を海に囲まれた要害の地であり、城郭の造りは歴史的に見ても優れていたようである。ぼくは歴史クラスタでも城クラスタでもないので、そのへんのことは詳しい方に解説をお願いしたい。

 

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さて、堀内地区からスタート。全国で最初に重伝建に選定されたまち。

これは北の総門。ここより三の丸だ。

 

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まず萩城跡に向かう。二の丸より中の城郭周辺は、観光客のみならず地元住民の散歩コースにもなっている。

すげーでっかい石垣。

 

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ばーん。

指月山を背景に、左に見切れているのは「扇の勾配」と呼ばれる天守台。

 

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橋を渡れば本丸なのだが、何回も来たことがあるのでこの日はスルーしてしまった。

現在、本丸は指月公園として整備されており、天守こそないものの茶室や書院などを見ることができる(有料)のだが、そういえば中で写真撮ったこと無いな。また来よう。

ちなみにこの内堀の際ではたまに超大量のカメが甲羅干ししててちょっと気持ち悪いです😅

 

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改めて城郭周辺を散策。

この堀内地区は毛利一門をはじめ、永代家老などの上級武士などが居住した。

現在でも武家屋敷が多く残っており、重文なども非常に多く、城下町全体が世界遺産として登録されている。

 

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石垣と土塀の町並みが延々と続く。

なまこ壁の屋敷も多い。

 

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嘗て吉敷毛利家の屋敷であった「北門屋敷」。

三の丸内で唯一の旅館である。

 

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どこを歩いても絵になる。

ちなみに左側の建物は県立高校である。御成道が通学路。

余談だがぼくの通っていた高校も毛利藩の旧藩校であり、城下町(長府)にあるので土塀の町並みには馴染みがある。

 

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碁盤目状の町割がよく残っており、ほぼすべての道は並行・垂直に伸びる。

 

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なんと立派な長屋門。ここは藩の寄組であった口羽家の住宅で、この門は萩市内に現存する最大のものである。

 

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口羽家のすぐ近く、高い土塀に囲まれた路地は、碁盤の目をずらすように鍵の手状に。

鍵曲(かいまがり)といい、見通しを悪くし、侵入した敵を迷わせる城下町特有の街路だ。

 

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どうやっても全景が収められないが、要するにクランクです。

 

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そのまま東へ進む。

 

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平安橋。この橋を渡れば平安古(ひやこ)地区に至る。

いわゆる刎橋で、山口県内にはこの他にも数ヶ所石造の刎橋が残っている。かねてより石刎橋には興味があって調べていたのだが、全国的にも珍しく…というか山口県以外ではほぼ見ない。岡山に少しと、あとは各地にちらほらと。

このあたりは改めて別記事にていずれ。

 

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平安古地区は三の丸を囲む外堀の南に位置し、多くの中級武士が邸宅を構えた。

平安橋から南に進み、橋本川のあたりに当時の地割が見られ、こちらも堀内地区とともに全国初の重伝建に指定された町並みとなっている。平安古の散策の記録もまた後日まとめたい。

 

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再び三の丸内へ戻り今度は東へ、町人地区を目指す。

 

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やや、素敵な喫茶店、もうやって無いのかな…

 

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まずは妻に頼まれてたブツを仕入れにこちらへ。めっちゃ並んでる…

 

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萩ぷりん亭。ネコチャン!かわE。

 

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お土産は購入できましたが、せっかくなので食べていきましょうか。

 

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商家の立ち並ぶ町並みを見ていこう。

正直な所、堀内地区よりも城下町エリアの方が観光客が多い。それだけ見どころが多くあるのだ。

御成道沿いにはひときわ大きな商家が並ぶ。

 

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左手は旧久保田家住宅。もともとは近江の出身の商人であったが、藩政の後期に萩の地へ。呉服商・酒造業を営む豪商であった。

 

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向かいは菊屋家住宅。

大内氏時代から続く武士の家系であったが、萩城築城の際に町人として萩に入り、まちづくりに貢献した。広大な敷地内には国指定の重文建造物が5つもあり、庭園のほか美術品や古書などの展示も素晴らしい。

 

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忍び返し。

立派というほか言葉が出ない。

 

 

さて、今回はここまで。

次回も引き続き町人地区を見ていく。

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それでは。

 

つづき