萩往還の終点である三田尻は、元禄の頃より国内屈指の製塩地として知られ、寛永には北前船によって北海道まで販路があったという。更に御船手組〜海軍局の根拠地にもなった水運の要衝とあって大いに賑わい、明治期には遊廓も公許されたが、戦後は赤線に移行し、その後は…
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2021年の暮れ、防府でお仕事。その前にちょっと散歩しようと早めに家を出たのだが、写真のexif情報見ると割と早朝ですね…寒いし眠い。
あいにくの天気だが、散策開始。三田尻大橋すぐそばの住吉神社からスタート。
海上安全の守護神である住吉さんの立派な石造灯台は文久3年に建立されたもの。もっと有名になっても良い気がするなぁ。
この日も早速シャッターの錆が美しいタバコ屋さん跡を発見。
ピースのロゴはかっちょいいよね。
え、散歩も許されないのか…
このあたり、住宅地へ切れ込んでいく右側の路地のあたりに、開地遊郭と呼ばれる色街があったという。
一見なんてことのない通りに見えるが…進んでみよう。
まず目に入るのは「スナック 街角」。一見なんてことなさそうな雰囲気であるが、いきなり実質ラスボスである。
前面がガラス張りで、スナックと言うよりはロードサイドのラーメン店を彷彿とさせる。なぜって?
いわゆる"連れ出しスナック"だそうな。仲見世のように外から嬢(といっても60〜70歳ぐらいのお姉様方らしい)が見えるようになっている。
夜になると明かりが灯り、目が合うといわゆる"遣り手婆"が飛び出してきて、「〇〇円でどう?」などと聞いてくるそうだが…真偽は定かではない。(まぁネットに体験記なんかがゴロゴロ転がってるわけですが)
ちなみに後ろに見えるのは交番です。こんな目と鼻の先で売春の交渉を行うなんて…
鳥居っぽいキャノピーは防府天満宮を意識したのだろうか。
ほとんどが新しい住宅に更新されている中、少し進むと妖しさを放つ物件もちらほら見受けられる。
妓楼っぽい雰囲気のある大きな建物。
先程の「街角」といい、プレハブを改築したスナックが数件あった(こちらは営業指定なさそうであるが)。
おそらく郭があったであろう区画は、東と南の二面が川に接している。
どことなく退廃的な雰囲気が漂うのは、降ったりやんだりの天気のせいだけではないだろう。
こちらのスナック跡もプレハブ。隠された看板からは「千代」の文字が読み取れる。
ここも数年前まで連れ出しスナックとして営業していたという。
遊郭のあったエリアから少し移動して、堀口通りと呼ばれるかつての商業地区へ。
ここは萩往還の終着点であった。御茶屋(花街で使われる意味合いではなく)が置かれ、歴代藩主の別邸として、また賓客の旅館として使われた「英雲荘(国指定史跡)」が今でも残っている。
煙突を備えた大きな建物は醸造所。石垣より張り出した部分に目が行く。
浅葱色の下見板が黒瓦によく映える「一馬本店」。もともと造り酒屋であったこちらは、明治32年に毛利藩の備荒貯蓄米倉庫を購入したことから味噌と醤油の醸造を始めた。
なかなか迫力のある建物だ。
何かあるかと聞かれれば何もないが、それが良い、それで良い、
気になる…
醸造所の裏側へ回ってみた。
小さいながらも立派なトマソン。
先程の張り出し部。石柱の頼もしいこと。
おや、可愛い階段。右側はトマソンだなと思っていると…
いっぱいある!
なんとも楽しい路地であった。
さぁ、ぼちぼち仕事に向かいましょうかね。
短い時間ながらも、なかなか密度の濃い逍遥ができた。
さて、今回はここまで。
それでは。