砂州によって本土と繋がる小さな小さな火山の麓には、細い路地が密集する漁港集落が開かれ栄えた。
海水魚が泳ぐ不思議な池と椿の群生林で知られる越ケ浜に残る、風光明媚な町並みを歩く。
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鶴江と同じく椿東地区に属する越ヶ浜は、やや北の方、日本海に半島のように突き出る。世界一小さな火山(死火山)で、この周辺に玄武岩が多く見られるのは、冷えて固まった溶岩の影響である。
詳しくないけど、山口県って地質学的に重要なとこ多いよね。秋吉台とか須佐ホルンフェルスとか。
ちなみに椿東地区には世界遺産にも登録された萩反射炉や恵美須ヶ鼻造船所跡あとなどもあり、観光でも訪れる人が増えてきているようだ。
砂州で繋がる浜を渡ったあたりには「明神池」と呼ばれる潮入りの池。
水中で外海と繋がっており、フグとかエイなどの海水魚が泳いでるのが見られる。(エイって魚なの…?)
潮の満ち引きで水位も変わります。
トンビがすぐ頭上を飛んでるのでちょっと怖いです。
食べ物持ってたら注意!
池の北側には明神池という名の由来になった厳島神社。
萩藩2代藩主であった毛利綱広が、毛利元就が信仰していた厳島明神を安芸より勧請して創建された。
境内にはネコチャン!めっちゃいっぱいいます。
写真の画質がガビガビなのは数年前にケータイで撮った写真だから。
この厳島神社より北へと行けば火口への登山口。山頂には無数の風穴があり、夏でもひんやりとした風が吹き抜けてきて気持ち良い。
椿の群生林があるのも山の裏側のあたり。おかしいな、写真見当たらない…どこいったっけな…
まぁ自然は置いといて、町並みを見ていきましょうか。
藩政の頃に漁港として認められ、この地で陸揚げされた魚はすべて浜崎へと運ばれたという。また風待ちの港でもあり、北前船も寄港した。小さな集落ではあるが、そういった経緯から高札場や御茶屋などが置かれていたため、比較的立派な家屋が多い。
貸席(遊廓)もあったらしいが、名残は残っていない。明治の終わり頃には浜崎に移転し、「弘法寺遊廓」として栄えたそうな。
弘法寺遊廓と言えば…
芳和荘がある地区のことである。また泊まりに行きたいな〜。
いい感じのタバコカウンター発見。
平入の家屋が並ぶ遅い路地。 本陣が置かれたためか厨子二階も見られる。
虫籠窓を持つお宅も多い。
ベンガラ塗りの住宅も。
道幅は広くはないが、車の往来はそこそこある。
萩城下町にも負けず劣らずの美しい町並み。
そして階段もあるのだ。
ネコチャン!
案内してくれるのけ?
してくんないのかよ…
ここまで来ると車の侵入はできない。
光の射す方へ。
我々のような路地徘徊を趣味とする者にとって、狭さというのはマイナス要素にはなりえず、むしろある種の興奮を覚える(気持ち悪いな…)のだが、お住いの方にとっては大変だろう。
路地を抜けた先に美容室が合ったが、なかなかすごい立地である。
高低差のある町並み。
カーブしながら降りていって…
90度折れる。
入り組んだ地形ではあるが、意外と舗装が行われており、思ったより玄武岩の石段は少ないようだ。
さて、今回はここまで。
だれもこっち見ないじゃん…
それでは。
つづき