日本で一番小さな対等合併として、旧宝珠山村と旧小石原村の合併によって誕生した村。
小さな集落には豊かな山林資源だけでなく、素晴らしい建築物たちも聳えていた。
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国道211号に沿って歩く。
ここ、夜遅くに車で通りがかっても(何でそんな時間に東峰村で運転してんだという些末な問題は置いといて)灯りがついているのでいつも気になっている。
「坂本屋」。いつか立ち寄ってみたいと思いつつ、絶対ビール飲みたく鳴っちゃうよなぁ、車じゃ来れないな…
周りに宿泊できるところも無いのよね…
古い校舎の前に藤棚が据えられている。
旧大行司小学校。背面を線路が走り、大行司駅のプラットホームからは校舎を見下ろす形になる。
校舎横に鎮座する慰霊塔は、おそらく炭鉱関連のものではなく戦争遺跡であると思われる。
こんな校舎で、少し気だるい昼下がりの授業中、駆け抜けていく列車を眺めるような幼少期を送りたかった…
上記の小学校跡地とグラウンドを同じくして、白い下見板張りの大型校舎がもう一つ。
旧宝珠山中学校。
廃校になった後も、以前は「宝珠山小劇場」というアトリエ?的に使われていたようであるが…
現在は使われていないようである。
側面には立派なトマソンも。
裏側へ回ってみる。なぜか洗濯物が干してあるのだが…おそらく裏手にある民家の庭代わりに使われているのであろう。
ネコチャン!
再び国道沿いへ。
ああ…更地になってる…
ここには「音楽堂」と掲げられた旧役場建築があり、知人がたまにライブなどで出演していたようであるが…
グーグルマップより。
2021年9月時点ではまだ存在していたようである。
宝珠山駅方面へ向かって進むと、なにやら複雑な形状のタテモノ。
なにかのアトリエ兼ショップなんかかと思ったが、どうやら町工場のようである。
しかし素敵なデザインだ。トタンに覆われているが、近代建築っぽい意匠も見られる。
街灯照明にホタルの絵。
東峰村はホタルの里としてもよく知られる。水がキレイな証。
工場を過ぎて振り返って驚く。ベランダコロニアル様式のタテモノ!?
個人宅のようなのであまりパシャパシャと撮るのは憚られたが、どうやらサッシ等の雰囲気から言ってコロニアルを模したモダン住宅だろう。(そりゃこんな近代建築が残ってれば流石に知られてるよな)
素晴らしいセンス。
宝珠山駅へやってきた。
今更だが、これまで散々出てきた「宝珠山」の読み方であるが、「ほうじゅさん(せん)」ではなく「ほうしゅやま」ね。
駅前、大肥川をはさんで洋風建築。
大きなジャカランダの木の傍らに、民家と思しきタテモノ。
無住のようであるが、この近代建築についての情報は調べても全く出てこない。
さて、今回はここまで。
それでは。