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おなかを壊しやすい僧職系男子、まち歩きのススメ。

下関市 : 城下町長府の町並み(1)

山口県下では萩と並ぶ城下町、長府毛利藩のお膝元。

今なお歴史ある町割りが残され、下関観光の折には外せない人気スポットである長府地区。

練塀の町並みを歩く。

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以前は長府の中心地からやや外れた海沿いの階段を巡ったが、今回は中心部を見ていこう。

 

長府…ぼくのホームタウンと言っても過言ではない。

住んでいるところは少し離れているが、通っていた高校は城下町にあるし、青春時代の思い出の多くはこの町とともにあった。

今でもちょくちょく訪れることはあるが、改めてじっくり歩いてみようと思う。

まずは春の情景から。市中を流れる壇具川(だんぐがわ)に沿って歩く。

 

川沿いに残される武家屋敷の門扉。こういうのがゴロゴロ残ってるのだが、いかんせん幼少期はそれが当たり前だと思っていた。

 

石とコンクリート、スチールが同居する橋は川中橋という。確か明治五年ぐらいに架橋されたんだと思う。

 

4月の初旬にワンコの散歩がてら歩いたのだが、この時期はすでに葉桜になっていた。

 

城下町であるから当然寺院も多い。

こちらは毛利家の菩提寺である笑山寺

 

笑山寺からほんの1分程度西へ。

同じく毛利家の菩提寺である功山寺の総門(国登文)に辿り着く。

 

神々しい光が差し込む参道を抜けると…

 

見えてくるのは二重櫓造りの山門。

 

ところどころ歪んだ階段に歴史を感じる。。

 

功山寺山門(市登文)。

 

門の向こうに見える桜に、春の喜びを感じる。

 

境内の伽藍は見どころばかりであるため、全部紹介していると自社参拝ブログみたいになっちゃうのでサクサク行きます。

これは国宝である仏殿(1320年建立)と桜。

 

法堂。

 

経堂(1799年、市登文)。

 

チラッ。

 

桜の名所でもあるため、この時期の境内は多くの人で賑わう。

 

この功山寺高杉晋作が挙兵(回天義挙)した地でも知られる。

開基は北条一門、その後後醍醐天皇勅願寺となり、足利尊氏から寺領の寄進を受け、大内氏の庇護のもと栄えたものの大内義長が境内で自害、そして長府毛利家の菩提寺となる(このときは先程の笑山寺と同一の寺であった)…歴史の激動に揉まれ続けてきた由緒ある寺院である。

 

裏手には毛利家墓所。ちょっと広すぎて大変なので今回は御廟へは行きません💦

 

桜の向こうに近代建築の気配…

 

長門尊攘堂(1933年、国登文)。

重厚な外観の建物はかつて下関市立長府博物館として使用されていた。

 

苔庭を抜けて再び山門の方へ。

 

さて、町に戻りましょう。

 

門前町の風情。

 

長府毛利邸

長府毛利家14代当主、毛利元敏によって1903年に建てられる。何度か演奏させていただいたこともあるのだが、あいにく内部の写真撮ってないや…

素晴らしい邸宅ですのでぜひ拝観してみてください!(雑)

 

毛利邸の横を抜け、茶色の土壁が残る通りを往く。

 

古江小路

練塀の続く切通しが、毛利邸から下るように伸びる。

 

菅家長屋門

毛利家の侍医兼侍講の家柄であった菅家の屋敷の長屋門は、一般の武家屋敷の門よりも幅広く作られている。

 

通学路だったわけではないが、部活終わりによく散歩しながら帰ったものだ。

 

もう一つ印象的な小径がある。

横枕小路

乃木希典を祭神とする乃木神社の横を抜ける小路は、古江小路より幅が狭く車が通行できないため少し静かだ。

かつて乃木家の邸宅もこの地にあったという。

 

乃木神社から夢枕小路を挟んで反対側には公園が整備される。

この地はかつて4軒の武家屋敷があったとされる。この東屋でぼくは高校生の時分にお付き合いしてた子と逢瀬を重ね…いやこの話はやめとこう。

 

ゆっくり歩いて遠い幕末の時代に思いを馳せる。

 

 

さて、今回はここまで。

それでは。

つづき