門司港駅よりやや離れたところに、瀟洒な洋館付き住宅が建ち並ぶ地区がある。
観光地の風情とは異なる生活の息づく住宅街の家並みのなか、その建物はひときわ存在感を放つ。
「門司の三羽烏」と呼ばれたうちのひとり、その豪商の旧邸宅へ。
関連記事(隣接地区)
件の門司区谷町は門司港レトロ地区からはバスで10分程度、歩けば20分ぐらい移動することになる。
このあたりは国道3号線沿いのように幹線道路が走っているわけではないのであまり知られていないが、かなりの階段密集地である。
閑静な住宅街であった谷町は小高い丘になっており、かつては三井倶楽部(三井物産の社交場、現在は門司港駅前に移築)をはじめとするドイツ風建築の社宅や、洋風の長屋が軒を連ねていたという。
これは現三井倶楽部。(またいずれ紹介します。そのうち…)
現在でも谷町にはいくつかの洋館が残されており、その多くは個人宅として、あるいは作家のアトリエなどに活用されている。(こちらも周辺の階段巡りと併せていずれ記事にします…)
その中の一つ、旧久野邸は「久野食糧」の会長であった久野勘助の邸宅である。
山口県出身、下関の米相場で莫大な資金を築いた勘助は、出光興産の創業者 出光佐三や、かつての門司市長で船舶業を営む中野真吾らと共に「門司の三羽烏」と呼ばれ、財政会で大きな権力を持ったとされる。
隣接する庄司町の出光興産創業の地(と言われる空き地)
同じく庄司町にあるガス屋さん。
清滝地区にある料亭 醍醐跡(中野真吾の生家だと思う…)
なんでも関門トンネルの出口が小倉ではなく門司になったのは勘助の力によるものだとか。
さて、旧久野邸へ。
この階段の上。現在はテラコッタ彫刻家の松浦孝氏のアトリエとして使われている。
松浦孝 プロフィール
1973年 福岡県北九州市生まれ
1997年 東京造形大学美術専攻Ⅱ類卒業
1999年 筑波大学大学院彫塑コース修了
粘土を800℃前後で焼成した、テラコッタ(素焼き)の技法で作品を制作。
近年は、縄文時代より受け継がれてきた「輪積み」の技法で制作した作品を、 「現代の土偶」と位置づけ制作を続けている。また2015年より、アトリエの約800坪の敷地全体を使用した、芸術・文化を楽しむイベントを春と秋に開催。美術作品の展示の他、音楽、舞踏、演劇、などが、ジャンルの壁を越えて建築空間の中で穏やかに響きあうイベントを展開している。
基本的に一般公開はされていないが、年に1,2回公開イベントがあり、昨年伺わせていただいたところ、今年もご招待いただき2年連続での訪問となった。(2年分織り交ぜて掲載しますので微妙に写ってる展示作品が異なります)
桜の時期、立派な門扉に「久野」の表札。
もうこれだけで豪邸と分かる。
玄関、庇の持ち送りが独特だ。
足元には小さな木。
玄関周りの面格子もシンプルながら意匠的。
玄関ホール入って正面(引きが撮れない…)。
ステンドグラスから差し込む柔らかな光。規則的に配置された小さな丸ガラスも心地よく。
これはまた違う年に展示された作品。かわE。
ミステリアス…。
水栓がついてる。水場だったのかな。
ヴェールのかかった展示。窓から覗く素敵な庭はまた後ほど。
作品が素晴らしいのはもちろんのこと、その後ろに貼られた電話番号の書かれた紙もいい雰囲気。
敷地は広いが、それほど大きな邸宅ではない。
和館部分と洋館部分に分かれており、この写真の後ろあたりに広間があった(イベント中だったので撮影はしていない)。二階もあるようだが未公開だった。
洋館部分の暖炉跡。
外に出てみよう。平屋になっているところが洋館部分。それほど大きくはないが、丁寧な設えで、庭へのアプローチにはサンルームがある(イベント中のため人が映り込むので内部の写真少ないです😭)。
洋風の庭。
小便小僧がいます。割とステレオタイプな金持ちの邸宅のイメージ…。
少し高い位置から。こじんまりとしていながらも、随所に拘りが見られる。
ちょっと寄ってみる。
玄関ホールを反対側から。普段人目につかないところも抜かり無い。
なんというか、余裕の感じられる空間づくり。
広い敷地に、広すぎない家屋。広めの庭、緑が沢山。
豪奢過ぎず、地味でもない。実にちょうどいい塩梅。
帰る前に再び門扉の周辺を見てみる。庭へと続く通用口は…
トマソン化してた。
さて、今回はここまで。
それでは。