江戸時代から昭和初期にかけて増改築を重ねた結果、入り組んだ迷路のような間取りになった建物は「豆田の天守閣」とも呼ばれ、まちを象徴する佇まいで聳える。
往時の華やかな商家建築の美。
前回の記事
前回載せた「足フェチ専門店」の向かいに看板建築の商店。
割と昔のままの姿に近い外観を残す建物もあれば…
その向かいには建て替えられていようとも、町並みに調和するよう寄せた建物も。
こうやってまち全体で景観を保全しようとする取り組みが素晴らしい。
そのまま進めば、見えてくるのはお城のような外観の建物。
圧倒的な存在感。
日本丸館。
「日本丸(にほんがん)」という万能薬を製造・販売した岩尾薬舗の店舗で、現在は資料館として公開されている。
正面から見て右側が母屋、左側が蔵部分であるが、それぞれ階高が異なっている。
これは建築年の違いによるもので、江戸後期に建てられた母屋1階部分(もともとは重箱造りの総2階建てだったようだ)、明治初期に増築された蔵1階…その後も明治13年に蔵2階、同33年 母屋2階、大正15年 蔵3階、そして昭和初期の展望楼と、改築を重ねた結果、「豆田の天守閣」とも呼ばれるように。
唐破風の装飾。
誇らしげなプレート。
ふしぎに よくきく
…いや不思議だとちょっと怖いんですが。
ともかく中へ。
1階は受付とかつての店舗部分(今でも漢方などを売っています)。
1階奥には台所。
カッコいい看板。
蔵2階は展示室となっている。
なぜ薩摩?島津家とやり取りあったのかな。
今でも売られている薬があったり、名前しか知らない薬があったり、全く知らないくすりだったり。
中でも印象に残ったのはこれ。仏頂面のおじさんの画から滋味深い(薬でこの表現ってどうなのだろう)感じが伝わってくる。
…って調べてみたら今でも売ってるのね。大学目薬。
参天堂ってSantenのことか。
3階へ。
3階は日本丸室と名付けられる。
展示部分。
2階よりも天井高がある気がする。
銭(せん)ってSenって表記するのね。
昔の帳簿。
座敷もある。大きな行李っていいなぁ、ほしい。
さて、今回はここまで。
さて、次回はいよいよ展望楼へ。
それでは。
つづき