
昭和の薫りを色濃く残す通りは、歴史の生き証人。
細くうねる小路に見る時代の変遷。
前回の階段巡りの記事

皆様、ボンジュール。
今日は貴船町あたりを歩いてみます。
今回から記事表題に地名とサブタイトルを載せるようにしてみようと思うんだけど、あくまでも資料的記録として場所がある程度分かりやすいようににというのが目的で、抽象的だったり心象風景を含ませてポエミーにならないよう心がけたい。文中はともかく。
さて、「貴船町」(きぶねまち)って地名は全国的にも多く見られるが、この地では鎮守であった貴船神社に由来するようだ。たぶん他の地区も同じだと思うけど。
かつては市庁舎があったが、昭和20年の空襲により全焼、現在の南部町に移転したらしい。

この通りは「赤岸通り」といって、かつては多くの商店で賑わったようだ。
その名の由来は、昔このあたりまで入り込んでいた海の岸が紅石山同様に赤かったことからという。

古くは鮮魚の行商をする「カネリ」とよばれる女性たちが、安岡で取れた魚を桶に入れ頭に乗せて、毎朝2時間ほどかけて赤間関(現在の唐戸〜赤間町付近)へ歩いてくる際に利用した道でもある。商いを終えるとまた同じ道を辿って帰ったという。長州鉄道の敷設により徐々に姿を消したそうな。
また御国廻りの際には毛利の殿様が通った"殿さま道"でもあったとか。誰?輝元?
ちなみにカネリに限らず、女性行商人たちによる頭上運搬の歴史を紐解いてみると非常に興味深いのだが、それはまたの機会に。
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昭和の初め頃にはこの通りの先に陸軍の兵舎などができたことにより、賑わいはかなりのものであったようだが、後年すぐ南に唐戸商店街が発達したことで衰退していったようである。

とはいえ未だ生活に根ざした商店が軒を連ねている。


細い階段の先には前述の貴船神社。
まずはお参りしていこう。

再び商店街へ。


いい雰囲気のお好み焼き屋さん。

たぶん元美容室。ドアかいくつもある。

道幅は狭いが、住宅地でもあるから意外と車が通る(一方通行です)。


おもちゃとお好み焼きが同居する店舗って、そんなのある?
素敵すぎる組み合わせだろ。

この日は夕刻からの散策だったので、西日が眩しい。

ぎゅっと詰まった建物たちを眺めながら北へ向かって歩く。


看板建築風の建物には「あさみ」の屋号。
小料理屋かなんかだったのだろうか?


長屋三兄弟。


ぺんぎん。

"生活"がある。

こちらの酒屋さんは普段は角打ちとしても営業しているのだが、この日はお休みのようだった。
う、一杯やりたかったわね。


こうやって見るとかなり大柄の建物だ。
造り酒屋もやってたのかな。

こちらの建物は"ハリスのチューインガム"で知られた製菓会社 ハリスの前身である「森又商会」の創業者 森秋廣氏の自宅軒事務所。昭和30年代には「東のロッテ、西のハリス」と呼ばれるほど人気であったという。
ちなみに今でもある"フエラムネ"のコリスはハリスの子会社だったらしい。

かつては森永製菓や明治製菓とも肩を並べたハリスも、森が体調を崩し入退院を繰り返すようになり、昭和39年には本社(大阪市)に隣接するカネボウに吸収統合された。
この建物はその後、旅館玉椿の下関支店として使われたと言うが、玉椿って川棚温泉のあの玉椿だろうか?資料が少なくてよく分かんない…
こんど玉椿に行ったら聞いてみよ。
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玄関のタイルも良い。

さて、通りのほぼ端っこまで来たよ。

今回ほぼ階段巡りしてないって?
じ、次回は階段ばっかりになる予定だから…
今回はここまで。

それでは。
つづき