
閑静な住宅街に圧倒的な存在感を持って佇む建物は、まるで古城。
異彩を放つ医院建築の秘密。
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友人たちと飲んだ翌日、この日は夕方に聞きたいコンサートがあったのだが、日中は暇だったものの特に予定もなく…
薄曇りの天気のおかげもあってあんまり積極的に出かける気にもなれず、それでもせっかく知らない街に来たんだからと午前9時を過ぎた頃にダラダラと起床、シャワーを浴びて「とりあえず適当に散歩するか」ぐらいの軽い気持ちで電車に乗った。

やってきたのは堺区の中百舌鳥駅。
「百舌鳥」と書いて「もず」と読む。漢字三文字なのにひらがな二文字。
さっそく駅構内にトマソンを発見。

百舌鳥といえば、古墳群で有名なまち。
昨日の四天王寺 精霊会で舞われた舞楽にも縁のある仁徳天皇の陵墓(たぶん前方後円墳と言われてみんなが思い浮かべるところ)を初め、40基超の古墳があるらしい。

中世に海外交易の要衝として経済的・文化的に栄えた堺市。
記紀にもたびたびその名が記されるこの地名の演技について、堺市のHPでは
百舌鳥の地名は「百舌鳥古墳群」の名で、全国的によく知られています。
日本書紀に次の有名な話が見えます。『仁徳天皇が、河内の石津原(いしつのはら)に出向いて陵の造営場所を決め、工事をはじめたところ、突然、野の中から鹿が走り出てきて、工事の人たちの中に飛びこんで倒れて死んだ。不審に思って調べてみると、鹿の耳から百舌鳥が飛び出し、鹿は耳の中を食いさかれていた。このことから、この地は百舌鳥耳原と呼ばれるようになった。』百舌鳥や鹿のことは、百舌鳥耳原という地名が先にあって、それを説明するために後で考え出された、地名起源説話の一つだと思われますが、これから見ると、このあたりは大昔は石津原と呼ばれていたようです。しかし、いつ頃から、また、なぜ百舌鳥と呼ばれるようになったのか、よく分かっていません。
堺市HP :『地名の由来が知りたいんだけど?』より
とある。

しかしこのまちに訪れたのは古墳ではなく、とある近代建築目当て。
住宅街の中に、さぁ見えてきました。

昭和6年築、旧是枝近有邸。
まるで欧州の古城のような建物は、医師であった故是枝近有氏が自ら設計した自邸兼診療所。国登文。

建設当時周辺には大きなため池があり、まさに湖畔に建つ城をイメージして設計したらしい。ドイツの絵葉書を参考にしたとか。

この建物の驚くべきポイントその①、四面どこから見ても同じデザインだゾ。

頂上に据えられた塔屋を中心に、コリント式のオーダー、角部の丸まったデザインなど複雑かつ特徴的な意匠を持ちつつも、それらが東西南北どの角度から見ても同じ様に見えるよう落とし込まれる。

ぐるりと周辺を回ってみたが、本当に同じファサード。
周りの景色によってのみ表情を変える。

それでいて細部に抜かりはない。
まとまりがありつつもしっかりディテールを押し出してくる。

この建物の驚くべきポイントその②、こう見えて木造建築だゾ。

4階建てということも相まって、外観の重厚感はかなりのものであるが、石造のように見える外壁は洗い出しの人造石。

この建物の驚くべきポイントその②、なんと施工は宮大工さんだゾ。

設計が是枝氏であったことは先に述べたが、なんと施工は元患者さん。
宮大工の村田元蔵氏によって3年の歳月をかけて完成した。
究極のアマチュア建築である。


今も営業されてるのかな…
こんな病院が近くにあったらかかりつけになりたいね。
さて、今回はここまで。

それでは。
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