おなかがよわいお坊さんはあわてない

おなかを壊しやすい僧職系男子、まち歩きのススメ。

山口市 : 旧阿東町の町並み

県内屈指の豪雪地帯であり、稲作をはじめリンゴや梨の栽培が盛んな阿東町は、平成の大合併を経て山口市編入された。

かつて交通の要衝として栄えたまちと、今も蒸気機関車を見つめる給水塔の記憶。

前回の記事

思い立ったが吉日、ということでふらりと島根へ向かう道すがら、冬の暁の重伝建地区を散策した後、山間部の峠を北東に向かう。

ここ通るときいっつも気になってる電気屋さん。

 

次の立ち寄り地はこちら。

篠目駅

構内にとある遺構を見に来た。無人の改札を通り抜けると、プラットホームの向こう側に見えるのは…

 

レンガ造りの給水塔(の架台部分)。篠目駅給水塔

大正6年山口線が延伸した際の終着駅である篠目駅に、蒸気機関車への給水のため設置された。現在でも山口線には蒸気機関車(SLやまぐち号)が通っているが、こちらは使われていない。

 

うっすらと雪化粧をした風景に、温かみのある煉瓦の色合い。

 

駅名標

 

撮影をしていると、ちょうど電車(ん?ディーゼルか?あんまり詳しくないのでよくわからん)が走ってきた。思わず「いい景色だな…」と声が出た。きっと春も、夏も、秋もここでそれぞれ違った景色を見れば、同じような声を出すんだろうな。

 

駅前にあったこちらは…元旅館かな。「生活バス停留所」の時刻表が生活感ある。

 

上部に「篠生農協 篠目支所」と書いてあるのが読み取れる。もともと阿東町は平成の大合併前までは阿武郡に属しており、昭和30年に篠目村・生雲(いくも)村が合併して誕生したのが篠生(しのぶ)村だ。

 

次は三谷駅へ。さきほど挙げた旧生雲村にある。

駅から少し離れたところに、生雲の古い町並みが残っているのだが、今回はスルー。

駅前のこの旅館(閉業済み?)の並びに、古いタバコカウンターを有した建物があることをgoogleマップで確認していたのだが…無い。取り壊されてしまったようだ。残念。

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駅前の商店とか。

 

ん…?

 

虎ファンか。

 

あ、もうこの日に阿東町で撮った写真ないや。仕方ないので、季節は変わるが最近行った徳佐地区の写真を。

かつて交通の要衝であった徳佐のまちは、旧阿東町の中心地として古くから栄え、今でもその名残がわずかながら残っている。

 

駅前の大通り。雪深い地区であるからだろうか、雪国で言うところの雁木のようなアーケードが見られる。

 

高い屋根の店舗跡。

 

勉強堂って屋号のお店を時々見かけるけど、「お値段勉強します」ってこと?正札販売の名残なのかな。

 

大通りから横に入れば、古くからの家並みが残る。この通りにかつての本陣や高札場が置かれていたようだ。

 

装テンの形状がさりげなくおしゃれ。

 

1階表面の部分だけ板張りで、あとはモルタル仕上げの不思議な建物。

 

勝手口部分の庇の形状も面白い。

 

こちらは本陣であった庄屋、椿家の門。

 

厨子二階になまこ壁の装飾を持つ商家。

 

藤野綿業の琺瑯看板。「い良のめた番一」の矢印、カッコよすぎるね…

なんで穴開いてるんだろう?というか「不二“”わた」←「」が入ってるの珍しいのでは?

 

もう少し進むと、この日の目的地。

 

昭和4年竣工の大草医院。道路よりも高い位置に構えた洋風の威容は、独特の存在感を放ちながらも石州瓦の屋根が連なる中によく馴染む。

 

洋風の意匠は、長崎で勉学を修めた後に徳佐に帰ってきた医師が、地元の建築家と大工に作らせたものだそうな。和風建築の家屋部分?と繋がっている。現在はこちらの建物は使用されていないようであるが、すぐ向かいに新しい建物があり、そちらに診療機能を移したようであった。

 

さて、ここらで引き返して駅前に戻る。

ねはら?

 

「“よ”ねはら」だったんだよね、たぶん…

 

家電と酒、間にスナック。

 

徳佐といえばリンゴ、というわけで農園でリンゴの花見もしてきました。

へぇー、リンゴって花も蕾も可愛いのね。初めて見た。

 

受粉用で実らない花をもらってきたので、家で活けてみました。

車中の暑さでシナシナになってたのに、水あげたらすぐ元気に。生命力強いなぁ。

 

 

さて、今回はここまで。次回からはまた島根への小旅行記に戻ります。

それでは。