下関市
穏やかな午後の散歩、まるで実家のような居心地の温泉にて蕩けた後の一服。 夏にはたくさんのホタルの舞う清流沿いの喫茶店にて。
かつて存在した長門鉄道、その軌道に沿って歩く。 田園地帯に発達した市の名残を探した。
良い路地にはネコがつきもの。路地歩き、ネコ探し…どちらがメインなのだろう? 夏の終わり、関東への帰路につく友を見送る。
カメラと財布を失くし、傷心のなかにある友人とゆるり食べ歩き。 あてもなく、ただのんびりと。
日本海に面した小さな漁村集落散策。 ネコ、ネコ、ネコ!
山陰地区の集落巡り、ある晴れた日の漁村。 住人たちの生活の香りと、見知ったネコとの再会。
観光資源になるものがあるわけもなく、住人以外は釣り人が訪れるぐらいであろう集落だが、ぼくにはこの風景がとても魅力的に映るのだ。 住宅の密集する漁村地区の路地を歩く。
小さいながらも古くから諸商売が繁盛し、近世以降はフグのはえ縄漁によって栄えた集落、その家屋の密集度合いは市内随一ではないだろうか。 漁村らしい路地と、ネコの波状攻撃にすっかり虜になってしまった。
丘の上から淋しげに海峡を見下ろす鯨と、工業港の傍らの小さな漁港。 海辺の城下町と、幻の洋館について。
武家屋敷の並んだ地区から、いよいよ天守のあった関見台へ。 海峡を一望する天守台と、海に浮かぶ小さな伝説の島。
垢抜けた観光地とは言い難いが、地域住人の生活があることがこの景観をより一層引き立てる。 秋の風情がまちを彩り、深みを増す城下町の秋。
城下町の商人地区、その商店街の中にある小さな市場。 地元住人の営みを支える長府の中心地区では、仲哀天皇の戦勝に因んだ天下の奇祭が今なお受け継がれる。
色づく城下町、この風景を何気なく眺めながら毎日歩いていた高校生の頃… 懐かしい景色を大人になった今、改めて歩く。歳を取るのも悪くないと思える。
紅く燃ゆる木々と、まだ染まりたくない緑が織りなすコントラストが茶色の練塀に映える。 その美しさは紡いてきた歴史が証明する。秋の城下町散策。
山口県下では萩と並ぶ城下町、長府毛利藩のお膝元。 今なお歴史ある町割りが残され、下関観光の折には外せない人気スポットである長府地区。 練塀の町並みを歩く。
下関市北西部、現在の豊北町にある長州藩一門八家のひとつによる知行地。 小さな小さな城下町の静かな路地を歩く。
アジア情勢が緊迫していた明治期、関門海峡を隔てた下関・北九州に帝国陸軍によって「下関要塞」が設置された。 現在は多くの家族連れや夜景の撮影スポットとして賑わう公園に残る堡塁から、そのひんやりとした空気が醸す静謐さに思わず息を潜めてしまう。
源氏と平家の最後の戦いの地、壇ノ浦。 武家社会の始まりを告げた平家の滅亡…。幼き安徳天皇が入水した合戦場を歩き、霊跡を巡る。
長閑な農村の風景に映える、瀟洒な近代学校建築。 華麗な意匠が施されたライトブルーの鮮やかさに、西洋の香りを感じる風が吹き抜ける午後。
滝があったから滝部、田を鋤くから田耕(たすき)。 山あいにある農村地区に佇む、あまりにも瀟洒な旧小学校建築のディテールに、思わず心奪われる。
下関の日本海側、その大部分が海岸線近くに走る国道191号線「北浦街道」に沿って、山陰の小さな町を見ていく。 風光明媚な眺望の中にある、人々の暮らし。
温泉郷内で随一の歴史を誇る国登録有形文化財の旅館にて、80畳の大広間に圧倒される。 小さな湯治のまちを、大きなお相撲さんの巡業の宿として華やかせた宿の湯を楽しむ。
主要街道からは外れるものの、御国周りの際には長府藩や萩藩の藩主が必ず立ち寄ったという名湯 川棚温泉。 偉人たちに愛された、「下関の奥座敷」の湯に沈む。
夕方なのに千鳥足。そういう大人とは無縁だと思っていたのだが… 休日の徘徊ライフ、もういいかげんお家に帰りましょうかね…
昼前から歩き始めたのに、いつもよりのんびりしたペースだったので夕方になってしまった。 そろそろ帰ろうかと思っていたが、甘味と酒の誘惑に負けて…
缶チューハイ片手にのんびり歩く休日の昼下がり。 微醺を帯びた顔に冬の冷たさが心地よい。
珍しく車を置いて電車で出かけた休日、朝のアルコールは格別。 冬の日の路地巡り、ほろ酔いになって歩く。
下関市、新地西町の某有名遊郭建築解体に寄せて。 儚くも消えゆくかつての桃源郷、まちの見た夢…。
Twitterの相互フォロワーさんのツイートで、新地西町の某有名遊郭建築の解体が始まったとの情報を見て、仕事の合間を縫って慌てて現地へ。そこで見たのは既に半壊し内部が顕わになった建物と、最盛期の幻影。 オーナーとの奇跡的な出会いもあり、おそらくど…
今回はちょっと市街地中心部から離れ、より地元の人たちの生活に結びついた銭湯を見ていこう。