遊廓 / 赤線青線
良い路地にはネコがつきもの。路地歩き、ネコ探し…どちらがメインなのだろう? 夏の終わり、関東への帰路につく友を見送る。
小さいながらも古くから諸商売が繁盛し、近世以降はフグのはえ縄漁によって栄えた集落、その家屋の密集度合いは市内随一ではないだろうか。 漁村らしい路地と、ネコの波状攻撃にすっかり虜になってしまった。
下関の日本海側、その大部分が海岸線近くに走る国道191号線「北浦街道」に沿って、山陰の小さな町を見ていく。 風光明媚な眺望の中にある、人々の暮らし。
西廻り航路の寄港地であったまちで、複雑に入り組む小路を往く。 わずかに残る往時の隆盛の面影。
海上交通の要衝として栄え、村上水軍の拠点でもあった上関。 室津半島の先端部、かつて遊女屋が並んだという風待ちの港の町並みを歩く。
半島のように突き出した島の南側には夕𣷓(ゆうなぎ)湾、北側には嫁泣湾… 打越しの浜を挟んで意味深な地名を持つ、小さな火山の斜面に形成された集落の町並みと階段。
砂州によって本土と繋がる小さな小さな火山の麓には、細い路地が密集する漁港集落が開かれ栄えた。 海水魚が泳ぐ不思議な池と椿の群生林で知られる越ケ浜に残る、風光明媚な町並みを歩く。
下関市、新地西町の某有名遊郭建築解体に寄せて。 儚くも消えゆくかつての桃源郷、まちの見た夢…。
Twitterの相互フォロワーさんのツイートで、新地西町の某有名遊郭建築の解体が始まったとの情報を見て、仕事の合間を縫って慌てて現地へ。そこで見たのは既に半壊し内部が顕わになった建物と、最盛期の幻影。 オーナーとの奇跡的な出会いもあり、おそらくど…
萩往還の終点である三田尻は、元禄の頃より国内屈指の製塩地として知られ、寛永には北前船によって北海道まで販路があったという。更に御船手組〜海軍局の根拠地にもなった水運の要衝とあって大いに賑わい、明治期には遊廓も公許されたが、戦後は赤線に移行…
重伝建地区から少し離れ、盛り場の風情が漂うエリアを散策。
明治維新胎動の地、萩。 多くの維新志士たちを排出し、新時代の礎を築いた長州藩の政庁。港町には宰判が置かれ、廻船業や水産業の一大拠点として繁栄した。今なお重伝建として継承されるまちに存在した、とある遊郭…その貸座敷であった宿にて行李を解く。
商店街のすぐ傍で見つけたアーケード。 昭和の薫りを色濃く残す空間で、しばしネコと戯れる。
かつての賑わいは何処に。 造船で栄えたまちの遠い記憶。その欠片を探して歩こう。
壇ノ浦の戦いに敗れ、滅びゆく平家の女官たちが身を売り遊女となったことに端を発して成立した「稲荷町遊廓」。廓の発祥とも言われるこの地において、遊女は白足袋を履くことを許され、客の上座に座る格式高いものであったという。 古くから下関の中心であった…
彦島の階段巡り、島北部をおおよそ回りきり、中央部〜南部へ。 北部に見られた古い家並みや野趣に富んだ風景とは対象的な、南部に広がる住宅街の隙間に潜む階段を見ていこう。
壇ノ浦に多く生息する平家蟹は、その甲羅がまるで敗れゆく平家の武士たちの怨念を宿したかのような形相に見えることから、平家の亡霊の化身と言われる。彦島にはその他にも平家にまつわる伝承が多く残されているが、それが転じたのか、北西部にはかつて「鬼ヶ…
新地遊廓再訪録(しょっちゅう来てるけど)、後編。千歳湯さんの前の「例のカーブ」と、階段地帯を歩く。 人と一緒に歩くからこそ感じる、それぞれのシャッタータイミングが面白い。
いつもの自分と違ったペースで歩く、立ち止まる、カメラを構える、シャッターを押す…なるほど、こんなテンポも悪くない。 友人と歩くかつての遊里で、いつもと異なって見えた景色を切り取る。
九州一の大都市、博多。現代では夜の街といえば中洲を思い浮かべる人も多いだろうが、那珂川に架かる柳橋の南側には、かつて長崎 丸山や熊本 二本木と並び称された遊里が存在した。往時の華やぎの残り香と、大きな通りに面した都会的な商店街の対比。
現在の新天町〜錦町のあたりには、かつて遊廓が存在していた。明治期、まだ老松町という町名だった頃に成立した遊里には、多くの妓楼や飲食店が立ち並び、夜の街を華やかに彩ったが、今ではすっかりセピア色に褪せてしまったかのような町並みに。
旧山陽道、萩藩領の宿場町として栄えた船木市。 現在も古い町並みが残っているこの地には、全国でも珍しい清酒醸造を行う神社があり、その歴史は神功皇后の時代にまで遡る。後に宇部や小野田の産業が発展するまで、厚狭郡の行政の中心であった。雨上がりの街…
かつて料亭文化が花開き、多くの財政界人や著名人の社交場として賑わった門司港。 最盛期には100を超える料亭が林立した華やかなまちは、現在では「門司港レトロ」として多くの観光客を楽しませる。そんなハイカラな町にかつて存在した、赤線の残滓。
下関で「飲もうか」というとまず候補に上がるのはこのまち。 コロナ禍でめっきり繰り出す機会も無くなってしまったが、また友人たちと集まって一杯やりたいものだ。
山口県最大の歓楽街、豊前田。 飲み屋が密集するこのまちは、かつて遊廓があったとされるものの、現在ではその面影を残す建物は全くと言っていいほど残っていない。 夜はソシアルなビルのネオンがまばゆく光り、行き交う人々の楽しげな声と、タクシーの行列…
駅前商店街のアーケードを抜けるとかつて遊廓があった地帯へ。 現在も色街の香りを残す盛り場の町並みを中心に歩いた。
下関市 彦島の階段巡り、北西部へ。 日本で唯一の「ふぐ」専門の卸売市場である、南風泊(はえどまり)市場のある西山町を目指した。
廓の外側へ。かつての桃源郷の周辺に残るものとは…。
関門海峡の激しい潮流を眼前に望む港町、門司港。 歴史的風土と多くの近代化産業遺産…観光地として賑わうまちの、観光スポットではないところ。艶のある町並みの名残をさがす。
おまけ 無用玄関とでも呼べば良いのか。むしろなぜそこだけ残したのか? 奥には風呂場?のタイル跡。