中国山地西部の山間、「山陰の小京都」とも呼ばれ津和野藩の領地として栄えた津和野。雪解けの城下町を掘割に沿って歩けば、自然と文化とが調和した美しい風景に心奪われる。
前回の記事
早朝に自宅を出発し、少し寄り道しつつ(前回までの記事参照)島根県へ突入。
県境に接する津和野町は、(隣接する山口市側の)市街地からのアクセスも悪くない。島根側の一番近い市街地って…益田?
そういう地理的要因もあってか、津和野は山口県に属すると思っている人も多い。
これは山口県民だけの認識じゃなくて、島根県中央部〜東部の人も同じだろう。実際ぼくも小さい頃に山口県だと間違って覚えていて、未だにその感覚が抜けない…
さて、最初に訪れたのは太皷谷稲成神社。日本五大稲荷と称されている(らしい)。
津和野の町を一望できる太鼓谷の峰に建立された。
津和野城の鬼門方向に位置し、廃藩置県までは藩主のみしか参拝を許されなかった社である。
稲荷ではなく、稲“成”と書かれるのは、大願成就を願ってのこと。雪よ止んでくれぃ…
津和野観光における定番のスポットではあるが、雪の降る冬の早朝、観光客など誰もいない…寒い…
せっかくなので有名な千本鳥居を歩いて麓まで降りてみましょうかね。
けっこうな高低差。雪で滑らないようにしないと。
一番下まで降りてきたけど、車を上の駐車場に停めてたのでまた登ります…
さて、気を取り直して城下町を歩いて行こう。殿町通りを往く。
さっきの祈りが通じたのか雪は止んだが、積もった雪は溶け出してみぞれのようになってきた。
街中を流れる掘割には、たくさんの鯉が泳いでいる。寒くないかい…?水中のほうが温かいか。
藩校であった養老館では、かつて西周をはじめ、森鴎外、 堀藤十郎などの偉人らが多く学んだ。
寒い…
誰の足あとかな?
こちらは津和野町役場。平等院鳳凰堂をイメージしたとされる外観らしいが、この日は日曜日だったのもあって中には入らなかった。正門は家老であった大岡家のものを移設したそうだ。
津和野を代表する建築である津和野カトリック教会は、古い町並みによく目立つゴシック様式。昭和4年(6年?)竣工。こう見えて石造りである。
長崎の浦上から各地に配流されたキリシタンたちへの弾圧、その中でも最も凄惨な拷問が行われたとされるのがこの津和野の地だ。
聖堂内部は畳敷き。ステンドグラスから差し込む色鮮やかな光が内部を満たす様子を拝見したかったのだが、日曜の朝ということもあってミサ中であったため遠慮した。
後ろの木造建築は同時期に建設された神父堂。ピロティというかロッジアというか、一階部分の廊下が印象的。
町人地区の方までやってきた。
津和野といえば源氏巻。今回はロールのほうじゃなくて、三松堂さんで笑小牧とこいの里をお土産用に購入。ほんとは正月のお客さん用に御年賀の焼印のやつが欲しかったんだけど、まだ出てなかったみたい。
何度も来たことのあるまちだが、冬の景色もまた良いものである。
何やら素敵なカウンターが…
元タバコカウンターかしら?
前面と側面でタイルの柄が違うのもオシャレ。
どうやらコチラの建物は、調べてみると分銅屋 七右衛門本店といい、江戸前期より鬢付け油や和蝋燭、菜種油、香等を製造販売していた「津和野藩の八人衆」と呼ばれた商家だそうな。現在でも香や手漉き和紙、水引きや香袋など和小物を扱っているらしい。国登文。
お隣のモダンな建物は旧布施時計店(昭和9年)。こちらも国登文。
嘗て上部の丸い枠には大きな時計が設えてあったらしい。あれ、ここって数年前まで山陰中央新報の津和野支店じゃなかったっけ?
んーこの紋なんだっけ、見たことある…と思いながら向かいの建物を見ると…
西中国信用金庫 津和野支店。ちょっと引きが取れなくて角度の着いた写真だが、コチラの壁面にも同じ紋が。
思い出した。これは鷺ですね。津和野に伝わる伝統舞踊の鷺舞にちなんだものだと思われる。たしか津和野の鷺舞って、山口市の八坂神社から伝わったとかだったような…詳しい方解説求ム。
洒落た店に可愛い持ち送り。いや、これ持ち送りじゃないな。何て言うの?
さて、今回はここまで。
それでは。
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