街道筋・宿場町・在郷町・集落
峠道を抜けると、時代を遡ったかのような感覚。外界から隔絶されたかのような僻地といっても差し支えのないような山間部に、思いもよらず開けた古い町並み。 小さな集落に残る、モダンな医院建築を訪ねた。
「音楽の町」と呼ばれる石見銀山の玄関口。 県内で唯一、平成の大合併を経験しなかった小さな集落で、かつての繁栄の名残を探す。
霧に包まれた山間の集落で迎えた朝、ひんやりとした空気が頬を刺す。 一日の営みが始まる時間帯、静かなまちを歩いた。
冬の日本海の荒波と、吹きすさぶ風に対して、寒さを和らげるような石州瓦の色合い。 国道9号を北上し、海沿いの集落を巡る。
あえて中心市街地である益田駅周辺ではなく、その隣の駅周辺。 朝ラーで迎える雨上がりの明け方。
良質な石灰岩地層により古くからセメント産業が栄え、それにちなんだ地名もつけられるほどの発展を遂げてきた津久見。昭和末期以降は人口の減少が続き、やや哀愁の漂う駅前は、セメントと同じ灰色の空がよく似合う。
穏やかな午後の散歩、まるで実家のような居心地の温泉にて蕩けた後の一服。 夏にはたくさんのホタルの舞う清流沿いの喫茶店にて。
かつて存在した長門鉄道、その軌道に沿って歩く。 田園地帯に発達した市の名残を探した。
カメラと財布を失くし、傷心のなかにある友人とゆるり食べ歩き。 あてもなく、ただのんびりと。
山陽道のその宿場町は、緩やかな坂道の中に形成された。 呼び声が近くに聞こえることから転じて地名となった集落の、優しい町並みを往く。
いわゆる「観光地」として整備されているわけではなく、人々の生活がある風景にこそ心動かされる。 工業地区や市街地の中にぽつりと残る古い町並みを訪ねた。
瀬戸内に浮かぶ小さな島での階段巡り、狭い路地の設えさえも瀟洒であった。 風そよぐ高台から見下ろす、煌めく海面……あぁ夏。
どこまでも続く煉瓦塀と石垣。 かつて栄えた小さな漁村集落の、美しき路地との出会い。
ふらりと訪れた小さな島は、岬の重工業地帯とは対象的に長閑な漁村集落だった。 夏の日差しに焼かれる肌に、潮風が心地よい。
周南市の南端、大島半島の更に端。 ふぐの延縄漁発祥の地である小さな三角形の島で、煉瓦塀に囲まれた路地を巡る。
再開発によって綺麗に明るくなった駅前で、路地を一本中に入れば昭和の風情が香る。 夜はネオンが浮かび上がるエリアを、昼下がりに歩く。
日本最初の天満宮のあるまち、防府。 至る所に飾られた紙垂が、道真公の御聖日ををまちぐるみで奉祝するムードを高める。 そしていつもの純喫茶へ。
居心地の良さに2日続けて訪れた純喫茶、火照った身体にパフェのアイスクリームが沁みる… 防府天満宮の周辺を巡る。
かつて市が開かれ、半宿のまちとして賑わった漁村集落に残る往時の面影。 商人や維新志士からの信頼も篤かったという「瀬戸内の飛脚船」の問屋が軒を連ねた通りを訪ねた。
近代陸軍の父と呼ばれ、先見の明を持って明治維新を推し進めた傑物の出生の地。 「秋の穂の満ち渡る郷」の由来を持つ農漁村集落を歩く。
うだるような暑さにヤラれ、涼を求めて飛び込んだのは山頭火の句碑が立つ老舗の純喫茶。 「あさせみ すみ通る コーヒーをひとり」
石見国の最西端、日本海の荒波に揉まれた奇岩が聳える漁村集落。古い路地から空を見やれば、目に飛び込んできたのは戸袋に描かれたたくさんの鏝絵。 津和野藩の要港を歩く。
藩政時代に市が開かれ、萩城下町から赤間関へ通ずる幹道沿いに発展した宿駅、その漁村部で流れる穏やかな時間と、日本海の荒波との対比。
維新のまちから海沿いに沿って西へ、かつての街道を訪ねて歩く。 山間の長閑な景色に映える、美しき石橋。
流水式池泉庭園を備えた武家屋敷は、多くの維新志士たちを輩出したまちに存在する。 幕末期の日本を支えた武士たちの、水とともに生きる暮らし。
まち歩きの醍醐味は、風景や建物を通して「人々の暮らし」を見つめることであると考えている。ふらりと訪れた近代建築を眺めていると、地元の方に声を掛けられその歴史を解説していただいた。 小さな宿場町での邂逅。
萩往還をはじめとする旧街道の交通の要であったその地の名は、安芸の領主より賜ったとされる。 萩市中では珍しく赤い石州瓦が連なる町並みに、かつての宿場町の名残を探す。
山紫水明の里、日田。 三隈川、花月川に挟まれた豆田のまちでひときわ目立つ煙突は、良質な水を活かした酒造りにこだわる酒造。300百年もの間、伝統を紡ぎ続ける蔵を見学。
「豆田の天守閣」から見渡す、商店街の町並み。 展望楼のみならず空中庭園を備えた華やかな意匠に目を凝らす。
江戸時代から昭和初期にかけて増改築を重ねた結果、入り組んだ迷路のような間取りになった建物は「豆田の天守閣」とも呼ばれ、まちを象徴する佇まいで聳える。 往時の華やかな商家建築の美。