街道筋・宿場町・在郷町・集落
大田市大田町散策、旧石見街道沿いに発展した古い町並みと、堂々たる近代建築の佇まい。
観光となると温泉津温泉や石見銀山の大森地区の影に隠れがちではあるが、大田市駅周辺の古い町並みにも嘗ての繁栄が見て取れる。三瓶山に見守られ、石見国を出雲国を結ぶまちを歩いた。
島根県最大の面積を誇る益田市は、中世 大和政権下において西の拠点として大陸との交易で賑わったという。日本海の荒波と中国山地の豪雪…厳しくも豊かな自然に抱かれた人々の営みを辿る。
津和野の城下町からやや離れたところに位置する“星降る里”は、嘗て天領であり交通の要衝であったため、人の往来多く栄えたという。 日本一の清流 高津川に沿って形成された集落を歩き、せせらぎを聞きながら絶品の猪鍋をいただく。
「ツワブキの生い茂る野」であったことがその名の由来となる中国山地の隠れ里は、室町時代より国内最高水準の和紙の生産で栄え、藩の財政を支えた。伝統的な町並みの残る町人地区を歩けば、なるほど小京都と称されるのが頷けるような雅な風景。
中国山地西部の山間、「山陰の小京都」とも呼ばれ津和野藩の領地として栄えた津和野。雪解けの城下町を掘割に沿って歩けば、自然と文化とが調和した美しい風景に心奪われる。
県内屈指の豪雪地帯であり、稲作をはじめリンゴや梨の栽培が盛んな阿東町は、平成の大合併を経て山口市に編入された。 かつて交通の要衝として栄えたまちと、今も蒸気機関車を見つめる給水塔の記憶。
日本海に面した城下町萩と、瀬戸内に面した三田尻を結んだ萩往還。その中間地点に開かれた宿場町のうっすらと雪化粧をした風景に、久しぶりの旅情を味わう。
古くは仲哀天皇が滞在され豊浦宮(とゆらのみや)を興し政務を摂り、戦国時代には長府毛利家の城下町として栄えた長府。歴史あるまちの中心地からやや外れると、眼下に関門海峡を望む階段が。
「有田千軒」と呼ばれるほどの隆盛を誇った町並みは、文政11年の台風と火災によってほとんどが消失。復興の後、幕末期には洋館が建てられるようになり、昭和期の道路拡張を曳家などで乗り越えてきた町並みからは、実に多彩なエネルギーを感じる。 窯元の屋敷に…
17世紀初頭、豊臣秀吉による朝鮮出兵の際に連れ帰った朝鮮人陶工 李参平らによって泉陶磁器生産の始まった有田。 路地の先に覗く可愛らしい建物に心奪われる。
我が国における陶磁器生産の発祥の地として知られる有田町。 欧州でもその名を轟かせた「IMARI」「NABESHIMA」「KAKIEMON」を産出したまちには、町人文化が根付き、多くの商家が建ち並ぶ。 山間の静かな町並みに、かつての隆盛を見た。
萩城下町の町人地区。御成道沿いに栄えた商家の建築と、横丁に残る風情…。 当時の面影を色濃く残す、維新志士たちが目にした風景と、藍場が設けられた水路のある町並みを歩く。
関ヶ原の戦いに敗れ領地を厳封された毛利輝元は、広島から移り萩の指月山にて築城。以来250年以上にわたって城下町として繁栄したまちに色濃く残る、江戸時代の情景。
ネコの集まるスポットに置いてあった手押し車は、集落の至るところで見つけることができる、この地区特有のもののようだ。 雨に降られて濡れる路地、と雲の切れ間から咲きこむ陽光のコントラストを楽しみながら歩く。
中世は海上交通の要衝として、江戸時代は古式捕鯨によって栄えた集落、通(かよい)。 伝統的な古民家が今なお残る漁師町を歩けば、鯨とともに生きたまちの歴史と文化が見えてくる。
日本海の荒波によって侵食された「海上アルプス」と呼ばれる奇岩が並び立つ、長門市の名勝、青海島(おおみじま)。 風光明媚な景観を横目に、島での人々の暮らしと文化を感じながら歩く。
長門市の階段巡り。歩き疲れたあとはネコと戯れ、高台にある温泉から仙崎を一望。 日が暮れてゆく…今日も良い一日だった。
深川湾に面した漁村集落には嘗て街道が通り、今でも細い路地を歩けば古い町並みが残る。
美祢市の集落巡り、たとえ小さな規模でもじっくり歩いてみると味があるものだ。 およそ観光とはかけ離れていようとも、住人の息遣いが見られることが街歩きの醍醐味である。
カルスト台地特有の窪地内に形成され、他郷からは隔絶された小さな集落。 複数残るベーハ小屋が印象的な幽幻の地で受けた、温かいもてなしに感無量。
「ふったり、やんだり、小ぬか雨…」 みすゞが「瀬戸の雨」で詩ったように、突然の雨に降られ、ネコと一緒に雨宿り。
童謡詩人 金子みすゞの出生の地であり、作品中にもたびたびまちの情景が描かれている仙崎。 日本海側屈指の良港を有する地で、彼女の愛した風景を辿る。あとネコ。
日本海に注ぐ阿武川の河口部に立地する萩の港、浜崎地区。 江戸時代の敷地割に町家が数多く残るこの地区は重伝建に選定され、虫籠窓や格子、なまこ壁が連なる町並みを形成する。 浜の香りに誘われたネコとの邂逅を楽しみながら歩く。
長門市の漁村には、捕鯨で栄えた集落がいくつか存在するが、川尻漁港もその一つ。 住宅地に張り巡らされる路地の多くは袋小路で、すぐに道に迷ってしまう。いや、そんな時間が楽しいということを知っているから、迷うために歩いているのかもしれない。
三年寝太郎の伝説が単なる昔話ではなく、史実として残るまち、厚狭。 寝太郎が築いたとされる堰から引かれる疎水によって、かつて一面に広がったという水田地区を逍遥。
明治後期から国際貿易港として栄えた門司港。 最盛期は50軒近くもの高級料亭が軒を連ね、それらをして「不夜城」とまで言わしめた。 清滝地区には、政治家や財界人も度々訪れた料亭や旅館などが多く見られたが、そのいくつかは現在でも残り、在りし日の隆盛を…
宿場町の高札場のあったあたりを歩いていると、見えてきたのは大きな"うだつ"。 誰か…うだつの上がらない俺を絞め殺してくれ…
石州街道の起点であり、山陽道とも交わる交通の要衝であった小郡。 かつては河港として賑わい、近世に入ってからは干拓によって栄えた。 町制が施行された後も豊かな税収により発展していたものの、山口市に吸収合併。しかし実質山口市の中心地といっても過…
日本最大の無煙炭の産地であった美祢市は、炭鉱の発展に伴いいくつかのまちが形成された。鉄道の敷設や軍需の高まりによって一時は賑わいを見せた集落も、資源の枯渇、更にはエネルギー革命によって閉山への一途を辿る炭鉱とともに衰退していく。 かつて鉱夫…