2024-01-01から1年間の記事一覧
お前たち…「ほんとうに"狛犬"なのか?」 思わずそう言ってしまいそうなユーモラスさ。 狛犬業界のダイバーシティを探る。
ちいさくたって神殿の守護者。社に近づく不届き者は許さない! 愛くるしくも頼もしい獅子たちと、可憐な少女との出逢い。
峠道を抜けると、時代を遡ったかのような感覚。外界から隔絶されたかのような僻地といっても差し支えのないような山間部に、思いもよらず開けた古い町並み。 小さな集落に残る、モダンな医院建築を訪ねた。
「音楽の町」と呼ばれる石見銀山の玄関口。 県内で唯一、平成の大合併を経験しなかった小さな集落で、かつての繁栄の名残を探す。
霧に包まれた山間の集落で迎えた朝、ひんやりとした空気が頬を刺す。 一日の営みが始まる時間帯、静かなまちを歩いた。
およそ1年ぶりの再訪となった温泉郷は、やはり寒い時期に入ってこそ。 雨と風で冷えた体に染み渡る熱い湯…一日の疲れを癒やす。
過去に何度もフラれ続けていた喫茶店に、念願叶ってようやくの入店。 まちの変遷を見守ってきた憩いの場は、今なお駅前で入店のベルが鳴るのを待っている…。
江津と高津、"津"の間にあるから「津間」…それが転じて「津摩」となった(諸説あり)漁村に、城のように聳える素封家の邸宅。 日本海に突き出た小さな半島の、小さな集落を巡る。
冬の日本海の荒波と、吹きすさぶ風に対して、寒さを和らげるような石州瓦の色合い。 国道9号を北上し、海沿いの集落を巡る。
あえて中心市街地である益田駅周辺ではなく、その隣の駅周辺。 朝ラーで迎える雨上がりの明け方。
瀟洒な洋館の傍らに佇む日本館、その見事な対比に唸らされる。 明治期の貴紳住宅、その真髄を見た。
"日本近代建築の父"が手掛けた数々の作品の中でも、他の代表作とはやや趣を異にする貴紳住宅。 豊かな曲線によって織りなす西洋の普遍的な美と、ジャポニズムの融合。
あまりにも瀟洒なアール・ヌーヴォーの洋館と、日本庭園の対比が織りなすクラシカルな空間は、まさに"華麗なる一族"と呼ぶに相応しい富豪の邸宅。 時代を超えて受け継がれる本物の美しさに会いに。
明治初期、炭田採掘によって莫大な財を成し実業界・政界に進出した、「筑豊御三家」。 そのうちのひとり、北九州の、いや日本の産業近代化の礎を築いた炭鉱王…今や世界に進出する大企業の創始者の邸宅を訪ねた。
密集する階段の存在を全く予想しなかった集落。 これだから知らないまちを歩くのはやめられない。
埋立地に作られたフェリーターミナル、その近くの集落はかつて漁師町であったが、明治以降の石灰石の採掘事業によって一時繁栄したものの、現在は静かな時間が流れている。 大きな貯水タンクが聳える、小さな階段集落を歩いた。
何度も歩いて馴染んでいたつもりの景色は、少し目を離すと姿を消してしまいそうな儚さを内包している。その実、無くなってしまった風景や建物も少なくはない。 今ではほとんど往来のない小路、その先は…。
とある住宅街で周辺の地図をチェックすると、思わず二度見してしまう名前の"坂"… 早朝、知らないまちを歩いた。
旅の締めくくりにに朝の5連浴。 温泉の香りを纏い家路につく。
悲しい恋物語(?)が伝わる野湯に浸かり、早朝の散歩。 曇天の温泉郷を往く。
島から戻り、本日の寝床へ……しまった、宿を決めてなかった。 ふらりと訪れた温泉郷で、野湯に浸かり車中泊。
保戸島の階段巡りもとりあえず最終章。 再訪を胸に誓い、"階段の聖地"をあとにする。再び船に揺られ、本土へ。
島で迷い込んだ猫たちの楽園。 細い路地を進めば、彼らが先立って案内してくれる。
トマソン、タイル、島ネコを採集しつつ島の南端まで。 ゆるりとした時間が流れる。
細い路地を抜けた先で待っていたのは、まるで枝分かれする木々のような階段。 登った先はいったいどこへ続くのか、全て知るまで帰れない。
名の知れていない小さな社にも信仰は宿る。 観光要素の無い小さな郷社などが丁寧に管理されているのを見ると、日本人で良かったと思わずにはいられない。
神社の石造物といえば、狛犬や鳥居、石灯籠を想像する人が多いだろう。 しかしそれら以外にも、境内に鎮座するレアなやつらが…
狭隘な路地にぽっかり空く、建物があった場所。 そこに残される基礎やタイルから、取り壊される前の間取りを想像する。 見えてくるのは、かつて生活があった空間。
階段集落での撮影は必然的に縦構図が多くなる。 上へ上へ、下へ下へ。3次元に広がる魅惑の路地。
高低差の激しい狭隘な路地を往けば、時折現れるぽっかり空いた空間。建物が無くなってしまった場所に、誰かが住んでいた記憶が残る。 階段の島にて。