長閑な農村の風景に映える、瀟洒な近代学校建築。
華麗な意匠が施されたライトブルーの鮮やかさに、西洋の香りを感じる風が吹き抜ける午後。
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下関市豊北町の集落を散策、田圃が広がる滝部地区の景色の中にあって、ひときわ存在感を放つ西洋館が佇む。
旧滝部小学校。
滝部出身である元貴族院議員で、クラブ化粧品(現クラブコスメチックス)の創業者でもある中山太一とその兄弟らの寄贈により大正13年に建てられた。
本館に対し斜め45度にシンメトリーに広がる教室棟。ルネサンス様式を基調とする。
両翼を広げた大きな鳥のような佇まい。
設計はドイツ人技師に依頼したと伝えられているが、正確な資料や図面などは残されていない。
施工は社寺建築で知られた大工集団「阿川大工」の棟梁 橋本銀之助らの手によるもの。
阿川は隣接する集落である。
三角破風に塔屋を備え、楕円形の窓など美麗な意匠が目を引く。
バルコニーにはイオニア式オーダーの列柱。
エントランスはトスカーナ式オーダを持つ3連アーチ。
足元にはマジョリカタイルが配される。洒落てるなぁ…
生徒たちはこちらから出入りしていたようである。
さて、中に入ってみよう。
現在は下関市立豊北歴史民俗資料館として活用されており、玄関を入ってすぐのホールは展示がされているため、資料を避けて撮影するのが難しいため割愛(パネルや資料は撮影禁止)。
バリアフリーにも配慮されており、改修によってエレベーターまで備えるが、往時の姿に影響が無いように考えられている。素晴らしい。
上げ下げガラス窓から午後の陽光が差し込み、木製の階段と手摺に艶をもたらす。
控えめな主張、装飾の入った持ち送り。
二階へ。
二階は講堂になっており、演台後ろの奉安庫には教育勅語が収められていた。
まるで気品のあるダンスホールのよう。
再び一階へ。西教室棟の奥へ進むと、急に和風な雰囲気になる。
大正然としたこの畳の間は「女礼室」といい、女生徒に再訪や礼儀作法を教える教室であったという。
なぜか全景を撮るのを忘れてしまったが、トコを備える。
そうそう、ここに来たのはタテモノそのものを見るという目的もあるのだが、どちらかというと「豊北歴史民俗資料館」のほう。
同じく豊北町で、以前から気になっていた旧粟野小学校に関する疑問について調べようと思って訪れたのであった。
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資料室に入ると職員の方が話しかけてくださったのだが、なんと日頃からお世話になっている知人であった。びっくり。
以前にFBに投稿した旧粟野小学校の件について覚えてくださっており、めぼしい資料をいくつか見せてくださった結果、改築年が判明。ちょっとスッキリ。
さて、そろそろ帰ろうか…と思ってふと廊下から外を見ると…
!?!?!?
あれは何だ?鏝絵?ちょっとあとで見に行こう。
玄関のアーチ越しに眺める校庭(現在は公園のようである)。
長閑だ…
すぐとなりには体育センターが設置されている。
昔ここでたまにバスケしてたな…
先程の建造物を調べるべく旧滝部小学校裏の滝部八幡宮へ。
「カンコ(宮腰)祭」という楽踊りを奉納するお祭りが伝わるそうだ。
境内には樹齢700年とも伝えられるイチイガシが鎮座する。
さて、件のタテモノである。長手積みの蔵のようだ。
両側面に鏝絵のような装飾。どうやら神輿を収める倉庫らしい。
境内からはちょうど塔屋部がよく見える。
かわE。
さて、今回はここまで。
それでは。