おなかがよわいお坊さんはあわてない

おなかを壊しやすい僧職系男子、まち歩きのススメ。

周南市 : 湯野温泉(2)

夜市川近くの山間の温泉地は、「坊っちゃん」のモデルとなった人物の出生地である。

豊かなが織りなす里山の風景と、山口屈指の名湯。

前回の記事

チェックアウトの後、温泉街を散策する。

とはいえ商店街や盛り場があるわけでもない、のどかな風景である。

このあたりはかつて長州藩の家老であった堅田家が領主を務め、街道近くにあることから賑わったようである。

 

ネコチャン!すごい鳴き声で仁義なき戦いを繰り広げていた。
ケンカはやめて…っ!

 

湯野温泉に訪れる度に必ず見に来るトコ。

 

ちなみに数年前はこんな感じであった。増えてるね…。

 

ついでに以前訪れたときの写真を数枚。

俺の後ろに立つんじゃねぇ…

 

スナックがいくつか見られたが、ほとんどは営業してなさそうな佇まいであった。

 

元湯であった「小松」は随分前に閉業していた模様。

ちなみに湯野温泉は明治期に入って本格的に掘削し、日露戦争で負傷した兵士が収容されていた広島衛戍病院に転地療養地に指定された。昭和初期には鉱山ら利金と言われた小松松三郎が自噴泉を掘り当て旅館を設立したのが、この旅館とは別のものである。

でもここが元湯だし「小松」って名前なんだよな。よくわかんない。

 

再び宿泊翌日の写真に戻る。足湯もあります(現在は燃料費高騰のため閉鎖中だとか?)

 

足湯横の屋敷は「山田家本屋」。堅田家家臣の邸宅だ。

ちょうど屋根の吹き替え作業が行われていた。この日は朝早かったため見学できず。

 

「民宿 わかたけ」。ここの貸切湯はとても良いと聞いており、入ってみたいと思っていたのが、残念ながらこのときの半年ほど前に閉業したそうであった。残念…

 

こちらは温泉郷内もう一つの宿泊施設、「紫水園」。

先程記した小松松三郎が開いた宿で、かつては「天松閣」という名であった。

ここは後で入りに来ます。

 

国民宿舎 湯野荘」。こちらも「わかたけ」と同じく訪れたときの半年前ほどに閉業…。

前来たとき日帰り入浴すればよかったな…

しかし2023年秋に日帰り飲食・入浴施設としてリニューアルすることが先日報じられていました。楽しみ!

 

小さな公園内にある温泉薬師。

 

絶妙な表情の恵比寿さん。

 

夜市川に架かる橋の上から。

 

昨晩お世話になった宿を川向うに望む。

 

少し上流の方までやってきた。

 

夏のせせらぎ。初夏にはホタルも見れるという。

 

釣りをする「坊っちゃん」の少年時代の像。ここを訪れるまで全然知らなかったのだけれど、湯野温泉夏目漱石の「坊っちゃん」のモデルになった弘中又一の出身地でもあり、現在でも生家が残っている。

弘中は教員として松山の中学校に赴任し、漱石の同僚であった。

 

漱石との交流が盛んであった弘中は優秀な教育者であり、この地でも彼を顕彰する記念公園やモニュメントが建てられている。

 

この後しばらく他のまちを巡った後、夕方…

再び湯野温泉に戻ってきた。夏は日が長くて長い時間散策できて良いねぇ。(なお体力)

先程紹介した「紫水園」さんへ。

 

かつて天松閣という名であった旅館は、第二次世界大戦中に海軍に徴発され、回天基地の特攻隊が最後の慰安に訪れた場所。のちに国鉄に移管されたが、徳山市の陳情により返還され、現在の「紫水園」となった。

 

広大な庭園を抜けて浴場に向かう回廊は池の上に渡されており、鯉が泳ぐ姿を眺められるほか、テラスとして利用もできる。

 

ううーむ、風流だ。

 

さて、入浴。

 

タイミングよく貸切状態。差し込む陽光でキラキラと耀く湯面。

 

おそらく温泉郷内で泉源は1本のみ。昨日の芳山園と同じ泉質だと思われる。

 

そしてこの源泉風呂(33℃ぐらい)との交互浴。キマるね…

露天風呂はこのときはなかったが、つい先日新たに作られたそうだ。湯野荘のリニューアルといい、再興に向けて活性化しているようで嬉しい限り。

 

こちらは多分もう客室としては使われていない旧館部分。休憩室などがある。

 

さて、そろそろ帰りましょうか。

 

それでは。

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