いわゆる「観光地」として整備されているわけではなく、人々の生活がある風景にこそ心動かされる。
工業地区や市街地の中にぽつりと残る古い町並みを訪ねた。
前回の記事
湯野温泉を訪れる前にちょこっと寄り道した町並みを紹介。
粭島から湯野温泉に向かう道すがら、なんとなく雰囲気が良さそうだと思って立ち寄ってみたのだが、これがどうしてなかなか見ごたえのある蔵造りの建物が多いまちであった。
細い路地に白漆喰の建物が映える。
写真で送る ごあいさつ
過去から現在までの写真が店先を飾る。
「寫」真館の異体字もいい。
かつてこのあたりは湿地で、漁村集落として栄えたようであるが、いつの頃からか在郷町のような佇まいの商家・町家などが多くなったようで、現在もその名残を感じさせる建物が見られる。
酒蔵の建物であろうか。
周辺は瀬戸内工業地帯を形成するコンビナートなどがあり、そのような中にこの町並みが残っているのかと感心させられる。
何も知らずにふらりと訪れたまちが、思いもよらぬ感動を与えてくれる…
これだからまち歩きは楽しい。
決して観光地ではない、生活のある古い町並み。
このまち紡いできた歴史は今でも連綿と受け継がれる。
古い町割りが残されているようで、通りの角度が微妙にズレている。
これも酒造の建物かな?
鏝絵がたくさんのお宅を発見。
この後はチェックイン時刻も迫っていたので、宿泊地の湯野温泉へと向かった。
さて翌日、湯野温泉を発ち訪れたのは遠石の集落。(遠石に行く前にも行ったところがあるのだが、それはまた次回に)
遠石は周南の中心市街地(徳山駅前)のやや東の外れあたりに位置し、再開発によって車が多く行き交うエリアにある。
まずは氏神様へごあいさつ。
もともとこのあたりには遊郭があったようで、その痕跡は全く残っていないのだが、遠石八幡宮の一の鳥居を寄進したこの國廣藤太郎なる人物は、この地にあった遊郭が移転した先の楼主の名らしい。いわゆる土地の顔的なポジションの立場であったのだろう。
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狛犬の台座にも「松田屋惣兵衛」と刻まれるが、これも妓楼のオーナーだろうか?
遠石の名の由来は、宇佐から分御霊を勘定するにあたり、宇佐八幡大神が神馬に跨って飛んできて「あゝ遠し」と曰われたのが転じた、と伝えられる。ダジャレのような話。
もとは石清水八幡宮の荘園地であった。
遠石八幡宮のすぐ横に醤油の醸造所。「アサヒワシ醤油」とあるが、吉田屋醤油の主力商品のようだ。創業当時はマルヨシ醤油という銘だったらしい。
おや…。
鏝絵の技法を用いて作られた立体看板。素晴らしい。
そのすぐお隣にも醤油屋さん。こちらは福原醤油。
立派な蔵が残る。福原醤油は嘉永、吉田屋醤油は慶応年代(醤油専業としては明治30年)に創業したそうだが、幹線道路沿いに歴史ある商家が隣り合っている光景はなかなか面白い。この並びは新幹線の車窓からも見ることができる。
歩道橋の上から。南国感ある。
反対側から吉田や醤油と福原醤油の並び。
いけず石?
こういう水位が低いとき用に掘ってある水路すきー。
立派なお屋敷。本陣だったのだろうか?
TTR…
いかにも瀬戸内の商家って感じの佇まい。
さて、今回はここまで。
それでは。