山陽道のその宿場町は、緩やかな坂道の中に形成された。
呼び声が近くに聞こえることから転じて地名となった集落の、優しい町並みを往く。
前回の記事
時系列的に前後してしまうが、前々回の湯野温泉を発ったのち向かったのは勝間・高水地区。
かつて熊毛郡の旧熊毛町に属した地区で、周南市発足の際に独立し編入した。
なので山口県内で「熊毛」とだけ呼ぶとどこの事を指すのか年代によって違いが生じる。いまの熊毛郡はもっと南ですね。
まずは勝間駅近くを訪れた。ぼくは正直山口県東部については詳しくないので、このあたりに山陽道が通り市が開かれていた、という程度にしか知らない。知らない町を見るのはいつだって楽しい。
いやぁ幸先の良いスタート。良いタバコカウンターに出会った朝。
そのまま東へ進み呼坂の集落へ。
街道は集落の中心にある中村川に向かい緩やかに下り、川を渡ってまた昇る。
街道沿いらしく重厚な門構えのお屋敷が並ぶ。
「呼坂」の由来は、坂の下へ呼ぶ声が手近く、よく聞こえることからだという。また「海老坂」ともいい、坂が海老のように沿っていることからそう呼ばれたらしい。
ミシン屋さんがある。今も現役のようだ。
ぼくは「ミシン屋」という業態に親しんだとことの無い世代であるが、家庭で使われることの少なくなった現代でも、こうやって技術が受け継がれていく様は美しいと感じる。
ここが宿場町として整備されたのは近世に入ってからのようで、それまでは隣の古市へ「宿々送り」をするために人馬を呼び出していたので「呼坂」という名が付いたとも言われる。
立派な門構えが多く連なるが、いくつかは無住のようであった。
中村川のちょうど上、集落の一番低いところあたり。
ここからまた登っていく。
地元の方々の憩いの場…既に営業していない様子であった。
本陣跡の河内家。代々大庄屋を勤めたという。
橿原神社。
夏の社叢はどこか涼しげ。
大きな庄屋跡。綺麗に手入れされており街道の風情を残す。
更に西へ進むと樋口集落。このあたりがかつての今市宿だったようであるが、隣の呼坂と半里ほどしか離れておらず、本陣もなかったようなので半宿みたいな扱いではないかと考えられる。
小さな集落だが酒屋が2つ。
旧街道沿いではなく、パイパス沿いにはトラック運ちゃん御用達らしいドライブインがある。
24時間やってるみたいなんだけど、御飯食べるとこっていうか、やけに充実したゲームコーナーとトラックのパーツをたくさん売ってるとかなんとか…
隣にはリサイクルショップというか骨董品店(休業中?)もある。
うーん、楽しそう。
帰る前に「呼鶴温泉」に寄ってこう。
昔は宿泊できる施設もあったようであるが、今は老人ホームと一体になって経営されている模様。泉質がよく湯治目的の保養客が多かったと聞く。
なるほど人気のようで、この後すぐに常連のような人たちで賑わっていた。
さて、今回はここまで。
それでは。