おなかがよわいお坊さんはあわてない

おなかを壊しやすい僧職系男子、まち歩きのススメ。

萩市 : 明倫学舎

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数多くの偉人たちを排出し、日本の近代化を牽引した長州藩

新時代を築く礎となったのは、その「教育水準の高さ」と「人材育成」にあった。

藩校 明倫館の跡地に建つ日本最大の木造校舎で、維新のロマンに想いを馳せる。

前回の記事

 

浜崎の重伝建地区や、五間町のスナック街を散策した後、雨に振られとても散策どころでは無くなってしまい、どうしようか考えあぐねていたのだが、それなら雨が降っても影響のないところに行こうと、「明倫学舎」へ向かうことにした。

 

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明倫学舎は、かつて長州藩の藩校であった明倫館の跡地にあり、観光拠点施設として、また「世界遺産ビジターセンター」として公開されている。(一部有料エリアあり)

 

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旧藩校明倫館は、享保4年(1719年)に5代藩主毛利吉元が毛利家家巨の子弟教育のために堀内地区に設置、約130年ののち、嘉永2年(1849年)に江向に拡大移転してきた。江戸時代は日本三大学府の一つとして数えられていた。

吉田松陰が教鞭をとり、若き日の久坂玄瑞高杉晋作らが学んだ。入学は士分のものに限られていたため、伊藤博文山県有朋はここでは学べなかったのでは…?(だからこそ私塾である松下村塾の価値も高いのであろう)。どなたか詳しい方ご教示下さい。

 

この木造校舎は日本最大のもので、昭和10年に建てられた。

国の登録有形文化財である。

 

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フランス瓦の屋根の中央・両端には鴟尾(しび)が置かれる。

 

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創建の由来が刻まれたこの碑、<幕命而>の3文字が削られている。

尊皇攘夷の先駆けとなった地だけありますが、過激ですね…

 

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南門は市の指定有形文化財

 

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平成26年までは萩市立明倫小学校として使用されていた。

 

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館内はすべてのエリアで撮影可能なわけではないが、比較的多くの場所で撮影できる。

 

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これは実際に使われていた小学校の教室。流石に机は復元である。

 

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天井裏の構造が見れる部屋もある。

 

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2号館には「幕末ミュージアム」として、下関市在住の収集家から寄贈された幕末維新期ぼ史料(なんと6000点以上!)が一部展示される。

 

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なんつーか…「お気に入りの"軍装"を組み合わせて、キミだけのオリジナル奇兵隊を作ろう!」って感じ。ソシャゲの課金アイテムや!

 

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いやしかしよく個人でこれだけ集めたものだ…

 

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わーい、鉄砲ガチャSSRでたよ〜

ケースがキラキラ。

 

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葵の紋入り。

 

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こちらは敷地内にある剣術・槍術場の「有備館」。

こちらも国の有形文化財

 

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公式HPより。

 藩士の練武のほか、他国からの剣槍術の修業者との試合場、すなわち「他国修業者引請剣槍術場」でもあった。坂本龍馬も来萩し試合をしたといわれる。

 
 

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あ!晋作さーん!


こういうところに来ると、もっと歴史を勉強しておくべきだったと反省しきりだ。
うちの祖父はもちろんお坊さんなんだけど、日本史の研究家でもあったので、いろいろ聞いておけばよかったな。ちなみに高校のときに日本史は選択せず地理を履修した。こういうのって大人になってからその魅力に気付くんだよなー。
 
他にも水練池をはじめとする敷地内の史跡を見学したかったが、雨が全く止む気配がなく、屋外に出るのもためらってしまうほど。じっとしてても仕方がないので移動して早めに宿に移動するとしようか(実はこの日は泊まる予定ではなかったのだが、ちょっと不完全燃焼だったので急遽宿を予約した)。
明倫学舎にはまた改めてじっくりと訪れたい。
 
 
というわけで、投宿。

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さて、今回はここまで。
 
 

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それでは。