おなかがよわいお坊さんはあわてない

おなかを壊しやすい僧職系男子、まち歩きのススメ。

周南市 : 福川 〜 夜市・戸田の町並み

かつては長州藩に属しており、徳山藩の成立に伴い同藩領として治められた福川は、漁業で栄えたまちであったが、街道の整備に伴い宿場町として発展した。街道を西へ進めば夜市(やじ)・戸田(へた)の集落。村内で所轄の藩が違うという変わった歴史を持つ。

夜市川の清流によって作られた沖積平野に開かれた福川の集落は、南部はもともと漁港であった。現在は工業地帯が形成されているが、これは干拓事業によって埋め立てられた土地である。

本陣が置かれ栄えたのは、参勤交代の随行員制限令によって海路から陸路への往来が盛んになり、大名や役人らの宿泊・休憩所として宿駅に指定されたため。

 

さて、早速歩いて行こう。

ローカルスーパー(この場合のローカルとは地方のチェーンではなく個人商店のことね)って良いよなぁ…「ふくだ」という店名だが、この宿場の本陣は福田家が預かったと言うからその一族だろうか。

スーパー福田の前の変形三叉路を北上。

 

いきなり雰囲気の良い商店を発見。タイルのタバコカウンター付き。幸先良いな。

道路に面した側からわ分かりづらいが、横からは石積みの基礎が見える。

 

愛の一言。

 

木製の引き戸が重厚感あってシブい。

店舗部分に連なるコンクリブロックも違和感なく溶け込む。

 

控えめな装飾の持ち送りもナイス。

 

後ろに控える家屋部分もなかなかの大きさ。

あ、がっつりぼく写り込んでるわね…

 

古い町並みと新しい住宅が入り交じる。

 

少し進むとモダンな美容室。横の路地もいい雰囲気だ。

 

この玄関おしゃれだなー。

玄関を1階の隅切り部に持ってくることで2階の床面積を減らさずに庇を確保。

 

昭和の雑多なエネルギーを感じる建物。

旅館もティールームもすでに営業してなさそうである(Google Mapだと営業中ステータスになってる)が、「藤屋」と「ウィステアリア」のネーミングの並びに惚れ惚れする。装テンとか看板は藤色だったのが褪せたのかな。

 

あ、トマソン…と思って近づくと、あまりにも美しい佇まいでしばし立ち止まって眺めていた。

 

半切妻(袴腰)の屋根は軒天の見せ方も相まって、一見ギャンブレル形状のように見えるし、店舗入口側の窓の配置のシンメトリーさはどことなく擬洋風建築を連想させる。

また店先に置かれたシルバーカーがいい仕事してるのよ。

 

まーたカーブミラーに写り込んじゃってますよ。

被写体に集中してると自分の存在忘れがち。

 

造り酒屋はもう販売のみで酒造業はやっていなさそうであったが、こういった酒蔵を見るたびに、広い建物の維持が大変だろうな…と思わずにいられない。

 

福川本陣跡。

現在も福田家当主が住まれているようで、家屋は更新されていそうだが、本陣門は天保9年に建て替えられたものが残っている。

ちなみに脇本陣も福田家が務めたそうだ。(もう1つの脇本陣曹洞宗の寺院)

 

これより西側には余り古い町並みが残っていないため、いったんスタート地点方面へ戻る。

尾崎記念集会所は、旧尾崎医院(大正13年竣工、昭和62年閉院)を改修したもので、平成4年、画家の尾崎正章氏より市に寄贈された。かつて氏のアトリエとして使われていたことから、現在は同氏の作品の展示や、子供への本の読み聞かせなどを行う文庫として活用されている。

あんま近代建築っぽくないな…

 

集会所のすぐ手前には門柱のトマソンがあり、立派な屋敷があったであろうことが伺える。

 

はり科・きう科。

 

スタート地点へ戻ってきた。

 

東に伸びる通りは氏神である辰尾神社の門前町でもある。ちなみに福川の地酒に「龍の尾」(男自慢酒造)というのがあるが、酸味が程よくうまい。だしの効いた料理に合いそう。

 

そうそう、だしと言えばシマヤ「だしの素」。

全然知らなかったけど、シマヤの創業の地はこの福川だったんですね。小さい頃数年このあたりに住んだことのある妻が教えてくれました。

奥左に見える2階ベランダに茶色いタイルが貼られた建物がシマヤ旧本社(現在は山口営業所)。

 

また別の日、もうちょっと西側、お隣の夜市(やじ)集落にも行ってみました。

現在はほんの少しの古い町並みが残るのみであるが、本陣の置かれた福川と、市の開かれた戸田(へた)の中間地点の集落として考えれば、街道を往く楽しさが見えてくる。

 

中でも白眉は、漆喰壁の大きなお屋敷。

敷地が広いとかじゃなくて、ほかの建物に比べて「大きい」のだ。

 

左のソーラーパネルが乗っている部分が、明らかに周囲の建物より背が高い。お寺のお堂ぐらい大きい。

もしかしたら、右の建物部分とはGLが違うのかな…とも思って裏側にも回ってみたが、そんなことはなさそうだった。

面積の広い漆喰壁が万緑に映える。

 

キリ看もあるよ。

 

このお宅の向かいにもお城みたいな立派な屋敷があったのだが、そちらは解体されてしまっていた。

 

続く戸田集落へ。

桜田八幡宮の参道に「宮島様」と呼ばれる小さなお社。

 

なるほど、水中に建ってるから宮島様なのね。

亀が甲羅干し中。

 

宮島様の向かいには御旅所が3基、その左隣りには戊辰戦争の凱旋記念碑が。

このあたりの領主であった竪田家の塀が無事凱旋したことを産土神に報恩感謝するために建てられた。

 

右隣には「精意呂享」?と刻まれた石灯籠。だれか意味をおしえてくらはい。

その更に隣は…

 

██に好きな文字を入れて、キミだけのオリジナル八幡宮をつくろう!

 

さて、今回はここまで。

それでは。