"神授の湯"として長年愛されてきた名湯、受け継がれてきた歴史とその変容を見た。
前回の記事
漁港集落の階段巡りもほどほどに、宿へと向けて車を走らせる。
訪れたのは音信川(おとずれがわ)に沿う静謐な温泉郷、「長門湯本温泉」。
この地は室町時代に、西の高野とも謳われるほどに栄華を誇った名刹 大寧寺の定庵禅師が住吉大明神からのお告げによって発見した、神聖なる湯の湧きいづるところ。
現在でも泉源は大寧寺が所有し、高台に鎮座する住吉神社とともに温泉街を見守る。
大寧寺といえば、大内氏終焉の地としてもよく知られていますね。ぼくは大内氏が大好きなんですが、なんで題材にした作品が少ないんでしょうね?まぁ前半は割りと戦国絵巻だけど、後半昼メロみたいになっちゃうか…
かつては一般大衆向けの「恩湯(おんとう)」と、"俗人禁制"の札が掲げられ、僧侶や武士のみ入浴を許された「礼湯(れいとう)」の2つの泉源が存在した。(後にどちらも公衆浴場に)
「かつては」と書いたのは、この長門湯本では利用客の減少などに理由によって2019年からまち全体をあげての大規模なリニューアルが実施され、その際に「礼湯」はなくなってしまったからだ。「恩湯」のほうは…もう少し後で語ろう。
ぼくはリニューアル前に何度か訪れたこともあり、鄙びた風情が郷愁の念を抱かせる(といってもほぼ地元みたいなもんだが)、お気に入りの温泉郷の一つであったのだが…
実はリニューアル後にも一度訪れたのだが、まちのデザインにちょっといろいろと考えさせられてしまうことがあり入浴もせずに踵を返し、以後の訪問は忌避しているきらいがあったのだが、やはり食わず嫌いは良くないと思い、あのとき感じた不満点・不安点は一時のものだったのかを検証すべく再訪と相成った。
大好きだった湯ゆえ、マイナスなイメージのままにしてしまいたくないしね。
まずは宿にチェックイン。この日お世話になったのは「利重旅館」さん。
見よ!この要塞のように複雑な外観を!
創業当初から改築を重ねた結果、外からも見て取れるほどに複雑な作りになってしまったという。木造3階建て。
これは過去に撮った写真だが、建物の裏手というか脇の方に、浴場の跡だと思われるタイル絵が残っている。ここに別の旅館が建ってたのかな?記憶を辿ってみても思い出せない…
現オーナーが経営される前は屋号が違ったようで、玄関入り口には昔の名が掲げられていたが、読み取れなかった。
さっそく謎のトマソン的階段が見えたりして気分が高まる。
「普通旅館 利重屋」「風俗営業(料理店)」「料亭」などと記される鑑札。
中に入りましょうか。
実は以前に日帰り入浴をしようと訪れたことがあるのだが、コロナ禍のピークということもあり折悪しくお休みで、この日の宿泊を楽しみにしていたと女将さんに伝えると、「今日のお客さんはあなたひとりだけだから、見晴らしのいい広いお部屋にしておいたわ。ゆっくり満喫してね」と言われた。ありがとうございます。
窓から差し込む夏の日差しは夕刻に近づいて少し傾きつつ、それでも暑さを感じさせるには十分なのだが、目に鮮やかな青色の絨毯がそれを中和してくれるような気がした。
階段横に銅鑼。
まるで滝のよう。女将さんの先導で3階へ。
案内されたのは「さくら」という二間続きのお部屋(だったかな?)
広縁スペースの右側が部屋の入口。廊下からドアを隔てて続いているので床の色が同じである。
部屋に設置されるすべてのものが懐かしく感じる。
部屋の窓からの眺め。がっつりぼくが反射して映り込んじゃってますが気にしないでください…
さて、館内の散策もしたいところだが、日が落ちてしまう前に少しまちを歩こうか。
河川敷には足湯や川床が設置され、せせらぎを聞きながらのんびり過ごすことができる。
音信川沿いには比較的古くからの旅館が立ち並び、少し離れたエリアには大きめの観光ホテルなどが屹立している。2016年の日露首脳会談で、いま世界中から非難を浴びているあの人が宿泊したのは長門湯本が誇る高級旅館「大谷山荘」ですね。あそこも本当に素晴らしい宿です。(高くて宿泊する機会なぞあまりないのですが…)
なぜそういった高級宿も、鄙びた旅情も、そして何より素晴らしい湯があるにもかかわらず人が訪れなくなってしまったのか。一言で陳腐に表すなら地方の衰退化、これに尽きる。
しかしそれは何もこの地に限ったことではなく、地方社会の抱える問題の一つにすぎない。それをどうこう言うつもりはないのだが、再開発の方向性については物申したいことがたくさんある。
リニューアルの話が出た際に持ち上がったのは、某大手高級リゾートの誘致。(写真左手〜奥に見えるタテモノです)
ここの参入も相まって今までの佇まいとはまっっっったくかけ離れたものになってしまったように思う。
近頃は由布院で新たにホテルを開業し、敷地内で米作りを「装飾的に」行う様子を見せることで賛否が別れている某リゾートであるが、ここではそれを論じるつもりはない。露悪的だとは思うけど。
ただ、「廃れゆく地方の観光地」が再生のプランを掲げる際に、どこもかしこも右へ倣え、頭空っぽお手軽にこの手のリゾートグループに声を掛けすぎじゃないか、とは思う。
いや、別に良いんです。そもそも地方だけでなんとかできるプランがあるなら実行しているし、それができなくなったからこその現状なわけで。なんとか打開しようと思うなら大手だったり外資だったりを誘致して、地方にお金を落としてくれる富裕層が来てくれる環境を整備して、更に地元の雇用を生んでくれるなら問題ないんです。
ぼくがこのリゾートグループを苦手とするのは、「新規客獲得に向けてのコンセプト」が強すぎる点にある。確かに未参入の地域に作れば新しい風が吹き込み、今までとは違った層を呼び込むことにはなるだろうが、逆に旧態依然としたものに排他的でもあるのだ。旧来この温泉郷は湯治目的の人や鄙びた雰囲気を求めて訪れる人が多かったように思うが(前述した大谷山荘のようなラグジュアリーな宿は少し離れたところにあるし)、こうも様変わりしてしまっては往年のファンや常連たちが見切りをつけるきっかけになるのは間違いないだろう。
しかしそれ以上にぼくが解せなかったのは、「某リゾートに合わせたまちづくり」をしたことである。まち全体のグランドコンセプトはリゾート側が作ったようであるが、そこはもっと地元民の声を取り入れつつ、行政が主導となって自分たちの商品価値をアピールしていくべきだったのではないか。
後述しようと思うが(次回になりそう)、新しくなった「恩湯」のデザイン(上記写真)は市がプロセスを経て選定した業者を用いているようであるが、「(某リゾートに)寄せてきたねぇ…」と言うのが正直な感想。
もちろんぼくがこう思うのになったのは単に「某リゾート憎し!」という気持ちからではないです。前述したように、コロナ禍の最中に日帰り入浴しようとこの地を訪れたことがあったのだが、いくつか回ったどこも部屋に宿は明かりがついておらず、日帰り湯もやっていなかった。そんな中、某リゾートにはいるんですよね、お客さん。
そんな高級宿に泊まる層はおそらく部屋付きの露天風呂で入浴すると思われる。世俗を離れてのんびりとリッチに過ごしたい人たちはわざわざ共同浴場になんか行きません。他の宿の湯をハシゴなんてしません。だってそういう"閉じた"リゾートでしょう、あそこって。
もともと誘致の際に、地元民はもちろん役所内でも意見が二分したとは聞いていたが、成功するしないは結果論なので置いとくとしてもこれ某リゾートが撤退したら目も当てらんないなぁ…
なんか色々と愚痴っぽい投稿になってしまったが、まちを盛り上げようと尽力されている地元の方々には頭が下がります。 それでも、大手を誘致してなんとかもらえとばかりに安易な考えで企画した行政の担当者には猛省してもらいたいものです。一番笑えないのは、当のリゾート宿の評判が思いのほか高くないという点…
さて、今回はここまで。
次回はちゃんと湯のレポートしましょうかね。
それでは。
つづき