栄町銀天街には、二つの個性的な路地が面している。
貧しさを卑下せず謳い、旅を愛した奔放な女流作家と、全国にその名を轟かせた、九州最強、伝説のヤクザ。波乱万丈な人生を送った二人と縁の深い小路は、今でもひっそりと人が訪れるのを待っている。
前回の記事
前回の記事でも載せた、パースのお手本のような構図の写真、この左側が栄小路だ。
すれ違うのがやっとの、細い路地。ここにも遊郭があったという説もあるが…真偽は定かではない。
「CHU CHU ICE FACTORY」だって。行ってみたかったのに、こないだ通ったらバナナジュース屋さんになってた。(撮影は昨年2月頃)
差し込む冬の陽光が眩しい。
未だ現役のお店たち。
門司「市」の名残を見つけた。
何やら賑やかな一角。あ、トマソン(高所ドア)はっけん。
上部に見える看板できっとお気づきだろう。そう、林芙美子の著作の名を冠した喫茶店だ。
林芙美子は、自著にて下関生まれだと記していたが、どうやら門司港の生まれという説もあるらしい。
「喫茶 放浪記」。もちろんハヤシライス(林ライス)もあるが、有名なのは生ウニ丼。(ちなみに食べたことあるけど、ミョウバン臭がきつくてぼく的にはかなりイマイチでした…。ミョウバン使ってても「生」ウニって言うのかな?)
雑多な感じすら愛おしい。この細い路地を通って毎日通学したい人生だった…
なんと言ってもこの路地の一番の特徴は、くの字に90度折れ曲がることであろう。
横に走る栄路銀天街のアーケードに対し、ちょうどひらがなの「く」がくっついてる感じ。(伝わるかな…?)
アーケードと並行する仲町通りへ抜け出てきた。この鋭角に切れ込む細道の力強さよ!
さて、もう一つの路地へは、仲町通り側から入っていこう。
「有楽街」。飲食店やスナックの集まった赤提灯横丁だ。
…といっても現在でも営業している店舗はもう僅かであるが。
中に入れば二手に分かれる小路。まずは左側から見ていく。
狭隘な路地は空気が淀み、冬でもジメッとした空気が肌にまとわりつく。
フェリニンの臭いか…ネコが多そうだ。
2階部分は室外機やらダクトが隣の建物にくっついてしまいそうな勢い。
「カクテル スナック 館」のマスターはご高齢で、門司港の最盛期を実際にその目で見てきた一人だ。
少しだけ広くなった空間では、わずかに空が覗く。
一旦入口方面へ引き返す。
さて右側通路。
錆が浮いてザラザラとした質感のシャッター。
こちらのほうが若干道幅が広い。
「話」の看板は吊り下げてあるだけだろうか。ちょっと怖いなぁ。
昼下がりの陽光とのコントラスト。
日中の有楽街は時代に取り残され、時が止まってしまった空間だ。
これでも夕方以降は、いくつかの看板に明かりが灯り、時が動き出すのだから面白い。
またその時間帯の写真は別の記事で載せようと思う。
ライオンのドアノッカー…いつか叩いてみたいね。
「スタンドバー ゆり」。
『兇健と呼ばれた男』、大長健一の行きつけだったことでも知られる。
そして門司港の名店「はなのつゆ」。大長の晩餐はここのフグとエビフライであったと言われている。
食事の後、仲町通りにあった「キャバレー月世界」へ移動、身内によって刺され死亡した。
「はなのつゆ」へはしばらく行けていないが、ここ数年は予約が入った時のみ開けるような営業形態だった。(と思って調べたら小倉に移転してた!)
門司港を語るなら、ここも外せない。「まんねん亀」。
昔は長谷町の山あいにあったが、こちらに移転。門司港レトロにある「三井倶楽部」内のレストラン経営もされている。(かと思って調べたら、最近JR系列の企業に事業継承したみたい)
有楽街入って来たところとちょうど反対側。左の通りが[まんねん亀〜話]の路地で、右側が[館]のあるほう。
栄町銀天街に接続する。
さて、今回はここまで。
次回は周辺のスナック街の町並みを散策。
つづき
それでは。