「ツワブキの生い茂る野」であったことがその名の由来となる中国山地の隠れ里は、室町時代より国内最高水準の和紙の生産で栄え、藩の財政を支えた。伝統的な町並みの残る町人地区を歩けば、なるほど小京都と称されるのが頷けるような雅な風景。
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殿町通りを抜け、本町通りの周辺を歩く。
こちらの古橋酒造(国登文)は、2階部分が高い酒蔵と増築された座敷が洋館部分をサンドする不思議な造り。
酒造部分のファサードは子持格子でツライチに見えるが、両端は卯建が上がっている。
向かいには金網看板の町家。
「最上醤油」と書かれた看板のある商家は、改装されて雑貨屋さんになっている。
醸造所だったのだろう。
写真を撮っている人を撮ってしまう現象…
こちらの建物も国登文、橋本酒造。
現在は閉業してしまったようであるが、津和野で最も古い蔵元だったという。
やはり酒造場には雪がよく似合う。石州瓦との組み合わせも良い。
山にかかる霞がまた旅情を掻き立てる。
またまた国登文の蔵元、華泉酒造場。
向かいにはまたも金網看板。見どころが多すぎる。
元旅館っぽい近代建築。
軒天の照明がオシャレ。
雪化粧の旅館…なんとも風情がある。
中通りの方へ。こちらではほとんど観光客の姿は見られない。
ん…?
ぼくの知ってるヤマザキショップとは趣を異にする。
こういういい感じのスナックは裏路地にこそ存在する。
うぉ…思わず声が漏れた。
旅館の年季の入った壁、ドサリと音を立てて屋根から落ちる雪、石州瓦のそれよりも鮮やかなおばあさんの傘の色、背後にそびえる中国山地…
しばらくこの路地で立ち尽くしていた。
見上げれば、屋根のある看板と「御旅籠」の鏝絵文字。
旅人宿。
うーん、ここも良さそうな宿やね。
足元のタイルと、ドアに斜めに据えられた手摺から察するに、元美容室だろうか。
いや、やっぱ旅館か…?
離れるのが名残惜しくなる路地だった。
かわE。
さすが重伝建、パイロンまで景観を損なわないよう配慮されている。こういうのって売ってるのかしら?手作り?
間口の広い金物店。
またまた素敵スナックたちを発見。
そういや旅先でスナックに入るってあんまり経験したこと無いな。こんどやってみよう(たいていその前にベロベロになっている説)。
おや、あそこにおわす三階建ての建物は観光センターだったはず。
もう営業していないようだ。
コロナの影響による閉業だろうか?肌を刺す冷たい空気と曇天が相まって、大きな体を縮こまらせているように見えた。
さて、今回はここまで。
これは10年ぐらい前に太鼓谷稲成からコンデジで撮ったもの。
それでは。
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