
透き通った湯の効能から「福ありの里」と呼ばれその名の由来となった有福温泉は、細い石段が入り組むその風景にちなみ「山陰の伊香保」とも呼ばれるが、あえて並べて評する必要など無い。ここには、ここにしか無い無二の素晴らしい風情が広がっているのだから。
前回の記事
旅もぼちぼち終盤、下関への帰路につく前にお気に入りの温泉郷へ再訪。
江津市街地からは少し離れ、南へと向かう。

あ、ベーハ小屋はっけーん。

おおっと!何やら美しい近代建築を発見したので思わず車を停める。

役所建築かと思ったら、旧有福小学校の講堂であった。
こんな素敵な建築物が有福にあるなんて知らなかったな…

やはり目を引くのは、正面の古代ギリシャ風の石柱(RC造だと思うけど)。
オーダーはコリント様式ほど装飾が華美ではないし、柱にもフルーティングはないが、セセッションを意識しているのは間違いないだろう。

講堂のインパクトに押されているが、後ろに控える木造校舎も良い雰囲気。
というかなんで小学校にこんな立派な講堂があるんだ…?
のどかな風景に映える堂々とした佇まいであった。

さて目的地はもうすぐ。有福温泉である。
前回訪れたのは2020年1月だったから…ほぼ2年振り(この記事の写真は2021年12月です)。

山間の温泉郷らしく、アクセスはよろしくないが、少なくともぼくの周りでは訪れて満足しなかった人はいない。

駐車場に車を停めて散策開始。

右手にいきなりオシャな店。前からあったっけ…?と思ったら比較的最近オープンしたそうな。

3階建てだから「三階旅館」。もともとは「振縄(しんじょう)館」という名であった。
いつか泊まってみたい旅館のひとつである。


江戸末期に三隅城主の別邸として建てられたというだけあって、職人の技術を凝らした粋な佇まい。

張り巡らされた細長い階段。
伊香保っぽくは…ないだろう。伊香保の階段ってもっとドーンって感じじゃんね。
まぁ山間にある温泉ってロケーションが似てるってことかな。

階段を登るとちょっとした広場のようになっている。
正面に見える「湯の町神楽殿」では伝統芸能である石見神楽の公演が行われる。

更に階段を登った先、シンボリックな近代建築然とした建物は、3つある公衆浴場のうちのひとつ、御前湯だ。

Twitterでいつも親しくさせていただいている島根県の近代建築史に詳しい「元島根県民のトリ( ・∋・)」さんのブログ【元島根県民のお部屋(島根県の近代建築)】には以下のようにある。
ながらく、有福温泉御前湯の竣工年、設計者、施工者は不明のままでしたが、
当ブログでは調査を重ね、何度かにわたり竣工年(昭和4年)、施工者(鴻池組松江出張所)を明らかにしてきました。
(中略)
竣工年、設計、施工と不明瞭だった有福温泉の御前湯ですが、
ここにきてついに設計者まで判明させることができました。
【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:御前湯
竣工:昭和4年
構造:鉄筋コンクリート
設計者:飯塚源吉
施工者:鴻池組松江出張所
出典元 : 元島根県民のお部屋(島根県の近代建築)
※トリさん、ありがとうございます!😊
実は明るいうちに有福温泉を訪れたことはなくて、御前湯の外観をじっくり見るのは今回が初めてだった。

美しいね…

玄関周りのこのタイルの色味…かなり好みである。
入浴はもうちょっと歩いてからにしよう。

御前湯の前から三階旅館を見やる。


細い階段路地を往く。

今でも石段がけっこう残ってる。

狭隘な路地を抜け、再び御前湯の前へ戻ってきた。
惜しむらくはちょうどこの時期、温泉街の再生事業が始まっており、あちこちで工事をしていた。後ほど御前湯の番台のおばちゃんにお話を伺うと、閉業して取り壊しになってるところがあるのと、老朽化で建て替えのためしばらくこの調子だとのこと。
建て替える体力のあるところはまだいいのだが…
さて、今回はここまで。そろそろ入浴しましょうかね。

それでは。
つづき