おなかがよわいお坊さんはあわてない

おなかを壊しやすい僧職系男子、まち歩きのススメ。

大分県日田市 : 豆田町商店街とその周辺(1)

古来からの水郷である日田の中心地、豆田町

幕府による九州支配の拠点として重きをなしたまちは、今なお重伝建として往時の町並みが大切に保存される。かつての天領の町人地区を歩く。

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日田。昔から2、3ヶ月おきに訪れる程度には好きなまち(要するに大好きってコトです)

なんですが、ちょこちょこと立ち寄るだけのことが多く、宿泊もしたことがなかった。

それでも頻繁に行ってるので、ぼちぼち撮ってた写真も溜まってきました。放出も兼ねて記事にしてみようと思います。

 

さて、この日はまずは腹ごしらえをしようと、名物である日田やきそばのお店を目指す。

表面パリッと中はモチモチの日田やきそば、食べたことない人は一度ご賞味あれ。癖になります。

ぼくはいつも日田やきそばといえばここ!というお店を決めている。

 

…と思って目的の店へ向かうも、昼どきを過ぎていたのに大行列。

他の店も同様に混んでたので、チェーン店にするか…

 

北部九州民にはお馴染み、想夫恋で頂く。

 

いや美味しいんだけど、なんかチェーン店だと負けた気がする…どうせなら個人店で食べたかったな。微妙に高いし。

 

車を留めて歩いていきます。

いきなり雰囲気の良い店発見。この日はお休み。

 

豆田商店街

江戸期に代官所が置かれた城下町において、商家が集中し日田の経済の中心地として栄えた豆田のメインストリート。

 

平入り、妻入りと混じり合った商家が並ぶ。

あまり露骨に作り込まれた古い町並みは好みではないが、豆田は美しく整備されつつも良い意味で垢抜けきれない素朴さがあって何度でも訪れたくなる。

 

この日は平日だったので人通りはまばらだが、週末となると結構な人出で車も多く行き交うので歩かれる際は気をつけられたし。

 

遠くに見えるのは五条殿山だろうか。

 

道すがら、とある擬洋風建築に心奪われる。(ちょっとこのあたりから撮影日時がバラけます)

 

旧船津歯科

現在は「豆田まちづくり歴史交流館」として公開されている。敷地内に別の旧医院建築などもあり、それらを含んだ複合施設で、貸し会議室やイベント会場として用いられているようであった。

 

こちらの医院は木造3階建て、パラペットや柱型の一部はモルタル吹付けで、窓桟が特徴的である。

 

階段状の持ち送りも面白い。

その下のぷっくりしたタイルもモダンである。玄関を開けて中へ。

 

三和土のタイル使いが見事!

レトロ調の土間タイルと、一段上がった大理石風タイルのコントラスト。

このぷっくり感が足裏に吸い付いて気持ちいい。

 

玄関入ってすぐ右手が受付。

パンフレット等が置いてあった。

 

中は完全に和風建築のそれであった。まずは1階部分から見ていこう。

 

ところどころ凝った意匠が見られるものの、1階部分は普通の和風建築である。

 

どうやら医院部分は2階のようであるので上ってみよう。

しかしこういったサイン類は建物のイメージを損なわないようにデザインしてほしいね…

 

さて2階。ここが待合室だろうか。

 

待合室のベンチに座って自分の名前が呼ばれるのをドキドキしながら待つ感覚は、昭和の当時と今とでも変わらないのであろう。

ちなみに余談だがぼくは歯医者が大好きなので、待ち時間に早く診療してほしくてウズウズしちゃう(ドMなのだろうか)。

 

いつまで営業していたのだろうか。

現代のシステマチックな医療機器よりやや厳しいそれらに囲まれて、大きく口を開ける。いつまで経っても人類は虫歯菌を殲滅することができない…

 

午後の診察室…

 

ギリシャ風っぽい雰囲気のある手洗い。

 

これはお薬渡したりするカウンターだろうか?

型板ガラスが可愛らしい。

 

洋風の意匠は医院部分に限られており、ほかはほぼ和風の建物であった。

3階は非公開となっており、今後公開の予定も無いそうな…。

 

大正3年に建築されたこの建物は、もともとは2階建ての長屋が4軒続いており、昭和3年に歯科として開業するにあたり洋風に改造、昭和18年に3階部分を増築したらしい。

道理でちょっと3階部分に一貫してない雰囲気を感じたんだよなぁ。

出庇の浅瓦の和風意匠と、2階のドイツ壁との対比が面白い。

 

今回は建物メインの記事になっちゃったな。町並みはまた次回じっくり見ていきましょう。

今回はここまで。

それでは。

つづき