近代陸軍の父と呼ばれ、先見の明を持って明治維新を推し進めた傑物の出生の地。
「秋の穂の満ち渡る郷」の由来を持つ農漁村集落を歩く。
前回の記事
防府駅周辺をぶらぶらした後、山口市の秋穂(あいお)町へ移動する。
このあたり(秋穂・鋳銭司)は防府市だっけ?山口市だっけ?っていつも考えてしまうのだが、山口県民でも同じように感じてる人は多いのではなかろうか。
秋穂集落のメイン通り。
車えびの養殖発祥の地でもあり、漁港には遠方から買いに訪れるひとも。
海水浴場があるため、民宿や温泉宿もあるが、まちの規模としてはそれほど大きくなく、主要な産業は先に上げた車えびの養殖を始めとする漁業と、開作での農業である。
かわEシャッターアート。
チェッカー柄が目を引くお寿司屋さん。
この点線…いい。
古い町並みは思ったほど残っている風ではなかったが、ちょくちょく立派なお屋敷があったりして面白い。
「勉強堂」という屋号のお店は各地で時々見かけるが、何を売ってるんでしょうね?
「お値段勉強しまっせ〜」ってこと?正札販売ではない時代の名残かな。
民家脇の路地、袋小路になった先にスーパー跡地。
ここには「秋穂座」という映画館があったと思われる。
髪解橋。
ここから山口へ向かう通りは「お上使道」と呼ばれ、身分の高い人が行き交ったという。
ちょっと西の二島地区へと移動。
緑に覆われつつある商店。
この商店を目印に少し南下する。
古い井戸と櫓の台座であろう石柱、二基のポンプ。
その向かいには立派な白壁が続いている。
反対側へと回ってみると…
大きな門が現れる。
路地を挟んで並ぶ庄屋屋敷は、長州五傑のひとり 山尾庸三(日本光学の父、日本初の聾唖学校=楽善会訓盲院の創立者)の生家である。
伊藤博文らとイギリスへ密航留学した経験を活かし、明治維新後は工部省を興して技術者育成のための工学寮(現 東京大学工学部)を創設した。日本の近代工業化の礎を築いた人物である。
現在も氏の末裔の方がお住まいである。しかしこれだけ大きなお屋敷を維持するのも大変だろうな…
身分に関係なく、有能な人物であればどんどん登用していった長州藩の気風は、この地に生まれた非凡な男子を見逃さなかったようだ。
さて、そろそろ宿に向かおうか。
宿泊予定施設のある四辻へとやってきた。
このあたりは鋳銭司(すぜんじ)といい、字のごとく貨幣(和同開珎)の鋳造が行われた地で、平安時代から200年にわたり周防鋳銭司が置かれた。
この集落は序文に書いたように、日本の軍隊に西洋式の兵学を取り入れ、軍政から幕末維新の改革を行った大村益次郎の出生の地である。
立派なお屋敷には鳥居を思わせるような門柱があった。しかしここからだと出入りできないのでは…?玄関は別にあるようだ。
余談だがぼくは大村益次郎が大好きである。おでこ。
歴史には明るくないし(というか苦手教科だった)、特に授業で詳しく教わったわけでもないのに、氏に関しては出身階級をものともせずに成り上がるその能力、大局的な物事の考え方、ぶっきらぼうで人から誤解されやすいが実は思いやりがあるさま、その郷土愛など、不器用な人物像にとても興味を惹かれている。
彼と吉田松陰、高杉晋作に久坂玄瑞あたりが長生きしてれば、日本は今とぜんぜん違う感じになっていたのかな…それが良いか悪いかは別として(笑)
歴史の if はロマン。
ちなみに今回は別に氏の史跡とかを巡ったわけではないです…😅
このあたりも山口市だか防府市だかいっつも迷うが、現在の行政区域は山口市に属する。
集落には長沢池がある。これは1651年に付近の水田の灌漑用水源として作られた人口池で、満水時は40haにもなる。
ここにはゴルフの水上打ちっぱなし練習場があるのだが、湖上には鳥居が立っている。
ちょっと罰当たりな気がしないでもない(笑)
本日の宿泊地はこの湖畔にある「長沢ガーデン」。
一部界隈で有名なドライブインである。宿泊設備・温泉もある。
何が有名なのかは…また次回に。
本日はここまで。
それでは。
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