かつて料亭文化が花開き、多くの財政界人や著名人の社交場として賑わった門司港。
最盛期には100を超える料亭が林立した華やかなまちは、現在では「門司港レトロ」として多くの観光客を楽しませる。そんなハイカラな町にかつて存在した、赤線の残滓。
門司港の花柳界については、明治中期に貸座敷営業地区として初めて指定を受けた田ノ浦遊廓、以前紹介した馬場遊廓が既にあった(といっても田ノ浦は、馬場が営業地に指定された後に衰退していたようである)。
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錦町に遊廓が成立したのはいつ頃なのか定かではないが(昭和5年刊行の「全国遊廓案内」に名前が見られないことから、おそらくこれ以降であろう)、公娼制度が廃止されてからも特殊飲食店として存続、営業を続けていたようだ。むしろカフェー街としてのほうがよく知られているように思う。
県道25号沿い、東側から錦町へ入っていく。
横断歩道のある道路から右側が錦町。この高低差。
もうこの時点でワクワクが止まらない。
かつては町内にいくつも銭湯があったという。つい先日最後の1件が解体されてしまった(とは言っても既に営業はしていなかったが)。
石の溝蓋が架かっている部分は当然水路だろうが、どうにもこの通りそのものが暗渠っぽい気がする。
突然現れる木造3階建て。間違いない。
現在は民家となっているようだ。
あまり華美ではないが、各部の意匠に見られる艶っぽさ…美しい。
側面を見るとその大きさに圧倒される。右側の建物も3階建てだ。
しっかりと手入れの行き届いた玄関周り。
裏側に回ってみよう。
細いカギ型路に残るカフェー建築…かつてここは男たちが夢を買った場所。
通路が狭くて引きで撮れないが、庇と玄関床に残るタイル、斜めに構えた玄関など、カフェー様式の名残が見て取れる。
隣の建物の上部に、何か瓢箪のような壁面飾り。
全国の遊里愛好家諸賢におかれては、これが瓢箪では無いことは既知の事実であろう。
女体である。
窓から手招く妓女をモティーフにした装飾は、この上なく艷やかで、妖しくて。
この角度、歩きながら「彼女」と目が合ってしまったら、もう逃れられない。
同じ並びにもう1軒。入母屋造りの堂々たる佇まい。
持ち送りと飾り窓。
裏手から見ると、なかなかの大きさの建物であることがわかる。
ちょうど開店準備中だったラウンジにも、かつての面影。
周辺には長屋風の建物が多く見られる。
こちらは元旅館だったそうな。
玄関がいくつもあるこの転業旅館跡は、竹で描くストライプの外壁がモダンな印象。
細部まで抜かりのない意匠。素晴らしい。
このあたりも旅館か料亭だったと思われる。
新築の家屋が建ち並ぶこのエリアも、ほんの数年前まで長屋風物件がずっと奥まで続いていた。やはり高低差があって暗渠のように見える。
色街の残り香は、少しずつ確かに薄れゆく。
古いものだけが本物だ、とか、新しものが良くない、なんて思っちゃいない。
でも… 歩くたびに探してしまう。そこに生きる人たちの記憶と、まちの歴史を。
それでは。