萩往還をはじめとする旧街道の交通の要であったその地の名は、安芸の領主より賜ったとされる。
萩市中では珍しく赤い石州瓦が連なる町並みに、かつての宿場町の名残を探す。
前回の萩市の記事
「明木」と書いて「あきらぎ」と読む。
なんでも検地が行われた際に、御帳を一番に提出したことから、安芸の領主であった毛利氏(輝元が当主の頃か?)より「安芸埓(あきらち)」という名を賜ったところ、これが「あきらぎ」と転じたらしい。
古くは市が開かれ駅も置かれたようであるが、現在はあまりアクセスが良いとは言い難い。僕も地名は知っていたのだが、これまで訪れたことは無かった、というかどのあたりにあるのかいまいちよくわかっていなかった。
この日はたまたま普段使わないルートで破棄市街地へ向かっていたところ、「なんか旧街道っぽい町並みがあるな〜」と思って立ち寄ってみたら、たまたまそこが明木の集落だったのである。少し歩いてみた。
あまり天気が優れないが、赤い石州瓦は曇天にもよく映える。
集落は1.5km程度のほぼ直線の道路沿いに集中しており、厨子二階の商家も見られることから往時の町並みがよく残っているのかと思ったが、どうやら明治24年の大火によってその殆どが失われ、残った家屋は3軒のみであったという。つまりそれ以降の建物ばかりであるが、これがなかなか趣深く、美しい状態で残っている。
たぶんこのあたりに目代所と馬継所があったと思われる。
現役の雨戸。
ひときわ大きな建物は瀧口酒造。蔵の色合いが良いですねぇ。
向かいのお寺の山門も実に立派である。
集落を並行して走るバイパスのおかげか、(おそらく)地域住人か配達以外の車の往来はほぼない。
静かで時間が緩やかな…美しい集落。
装テンに地図。確かに萩城跡まで一本道なんでわかりやすいね。
一升谷方面へ向かう坂。
庇の上の鏝絵、端っこだけ違う紋になっているのにこだわりを感じる。
こじんまりとした集落ながら、じっくり歩いてみると意外と見どころが多い。
その中でもひときわ目を引く建物。
旧明木郵便局。
昭和9年築、現在は個人宅っぽい表札が掛けられていたが、お住まいの様子ではなかった。
シンプルな持ち送り。
柱の落書き。ここが窓口だったのかな。
神社があった。お参りしていこう。
少し高い位置から集落を見渡す。やはり赤瓦がある景色は良い。
明木神社。
梅の紋があるから道真公を祀っているのかしら。
拝殿内には三十六歌仙を描いた額が飾られる。
ネコチャン!
さて、この日は萩市内で所用があったので、短い滞在時間だったが退散する。
今回はここまで。
それでは。
つづき