
流水式池泉庭園を備えた武家屋敷は、多くの維新志士たちを輩出したまちに存在する。
幕末期の日本を支えた武士たちの、水とともに生きる暮らし。
前回の記事
明木の集落から萩市街地方面へ、といっても今回は中心エリアではなく、まず向かったのは下級武士の屋敷が並ぶ川島地区。山縣有朋や桂太郎の出生地である。
以前訪れた際にも記事にまとめているが、その際にちょうど休館のため内覧することが叶わなかった旧湯川家屋敷へ。
川島の町並みについてはコチラ。

というわけでやってきました。藍場川沿い、旧湯川家屋敷。
なんかこのへん来るとき大体天気悪いな。


石橋を渡って長屋門をくぐり敷地内へ。

先ず目に飛び込んでくるのは、藍場川からの流水を利用した池泉庭園。
湯川氏はそれほど位の高い武士ではなかったようであるが(よく知らない)、こんな立派な庭園を持つことを許されたのは長州藩の気風によるものだろうか。長州は若手藩士の為すこと(やらかし)に寛容というか、やたら甘いのは讀者諸賢にはご周知のことであろう。





なんと風流な。
屋敷の方も見ていこう。

やはり何と言っても、この屋敷の特徴は庭の水を家屋の中まで引き込んでいることだろう。
「ハトバ」と呼ばれる水場は生活のために使われ、米や野菜を洗ったり、洗い物や洗濯などに利用された。

茶碗についた米粒を流せば、鯉がやってきて食べてくれたという。
しかし湿気対策や虫対策とかどうしてたのだろうか…冬場は風が吹き抜けてめちゃくちゃ寒かったらしい。まぁ風流だからいっか(強引な解決)。

生活の知恵、水路のある暮らし…



座敷に届く水の音が涼しげ。
蘭引のある床の間。



四畳半切の茶室。


ここからは先程の池泉庭園を眺めることができる。

こちらは風呂場。

風呂場にもハトバが設けてある。先程外から屋敷を見たときに張り出していた部分に当たる。
風呂の湯が熱いときは川の水を汲んで冷ましたらしい。ちょうど鯉が来ていた。

炊事場。

さて、湯川家屋敷をあとにして次の目的地へ向かおう。

そういうえば山口県のガードレールは黄色いものがよく知られているが、萩市内に至っては茶色いものが多く見られる。ユ◯クロやマク◯ナルドなど、その他のチェーン店なども景観に配慮して(なんか条例があるのかも)茶色い看板を使用している。

まぁ京都然り、古い町並みが残されているところにはそれほど珍しくもないのだが、実は県内には「青いガードレール」も存在するのである。またそのことに関してはいずれ別の記事で…。


橋本川沿いまで出ると、謎のコンクリ柱が乱立する場所がいくつか見られる。
船着き場でもあったのだろうか。

こちらは山縣有朋誕生の地。
このような地区に生まれた彼であるから、「椿山荘」「古稀庵」「無鄰菴」などの日本屈指の名庭園を普請したのも頷ける。……いえ、正直言うと、ぼくの浅く偏った歴史の知識では、これまで山縣有朋という人は出世欲の強い俗物(もちろん文武において有能であるのは理解しているのだが、吉田松陰や久坂玄瑞、高杉晋作や伊藤博文ら他の長州藩士と比ると…)だと思ってました。すいません。
そういやぼくんちの近くにある「東行庵」(高杉晋作の墓所)も山縣有朋が作ったんだっけ。風流な人だったんだなぁ。

おや、ヤドリギ。

可愛いねぇ。
さて、今回はここまで。

それでは。
つづき