おなかがよわいお坊さんはあわてない

おなかを壊しやすい僧職系男子、まち歩きのススメ。

東京都品川区 : 百反通り 〜 戸越銀座商店街とその周辺(2)

学生の頃に住んでいたまちを少しだけ歩いた
ぼくが知っている「あの頃」のまちは、いま…

前回の記事

引き続き歩いていく。

好きな街角。
 
 

当時もよく散歩していた記憶はあれど、"歩く"ことそのものが目的で、じっくり町並みを眺めたことはあまりなかったように思う。少しもったいないような気もするが、まぁ人生ってのはそういうもんだと思う。

 

それでもこういう看板の記憶だけやけに鮮明に残ってたりするから不思議だ。
あの頃と変わらない町並みに懐かしさを覚えるが、当時の自分が何を考えていたのか思い出せない。
 
 

これといって何がある土地ではないが、生活には不便さを感じることなど無く(むしろ何をするにも車が必要な今の生活より便利まである)、愛着という程のものではないが確かにこのまちを気に入っていた。
 
 

この坂を下って戸越銀座方面へ。
 
 

おるね。
 
 

路地。
 
 

ああ、この先に後輩の実家があったな。
所詮ぼくは上京してきた余所者で、期限付きの仮住まいだったからか、東京に帰るべき「家」があるという感じはなんだか想像がつかないな。不思議な感覚。
 
 

日常の買い物はいつも、すぐ近くの戸越銀座商店街でしていた。
全国に数多ある「〇〇銀座」の元祖。
 
 

東西に長く伸びる商店街は東京で最も長く、そのまま荏原中延武蔵小山の商店街に繋がるので、延々と店が軒を連ねているように感じる。考え事をしながらぼーっと歩いているとどこまでも進んでしまって、2駅分ぐらい軽く歩くので帰るのが大変だ。
モータリゼーションによってほぼシャッター街と化した田舎の商店街と違って活気がある。やはり東京というまちは凄い。

 

しかし東京で骨を埋めるまで暮らしたいかと聞かれると答えに窮してしまうのが正直なところ。
上京してきた当時は、「田舎なんてクソ喰らえ!シティボーイ(古)になってやる!」と息巻いていた腹よわ青年も、今となっては偶に訪れて味わった都会の喧騒の煩わしさに辟易してしまうところがある。
 
 

どちらが優れているとかそういうことではない。今では田舎暮らしの不便なところも十分に感じているし、都会で受ける刺激は常に新鮮で田舎では得難いものだ。

 

まぁ学生の時分は莫大なお金があればアーバンな生活が出来てハッピー!とか考えていたのだと思うが、きっとそういうことではなく、お金がなくともそれなりに楽しめるすべを知ってなお、やはり自分にとっての「ふるさと」がここではない、というだけであろう。

 
 

今も変わらず賑わっていたがすっかり綺麗に様変わりしていた商店街。

しばらく歩いてみて、「ああ、もうぼくの知っている場所ではないんだな」と寂しくなり、踵を返した。

 

 

しかし暑いな。ドクペを投入。
 
 

前回も載せた石蔵のあるお宅。
高層ビルを背景に立つ様子はどこか場違いのようで、まるでもうこのまちの住人ではないぼくのようだった。
 
 

音楽と洋服と女の子とお酒、そんなバカみたいな学生生活を過ごした。あの頃のぼくは何も成さなかった。今のぼくは何かを成すことができたのだろうか?

 
 

このまちで生活をした。買い物をして、友人と飲み明かして、ひとりでも飲んで、彼女と遊んで、他の女の子とも遊んで、喧嘩して…。ぼくが暮らした痕跡はもうどこにもなかった。
 
 

学生の頃に住んでいたまちを少しだけ歩いた。
そろそろ帰ろう。
 
 

モノレールに乗って羽田へ向かう。
久しぶりに乗ったが、けっこう高い位置を運行するので高所恐怖症のぼくは毎回結構
ビビっている。
車窓の外を眺め、「関東平野って本当に山がないよなぁ」なんて当たり前のことをぼんやり考えていた。
 
 

京浜運河沿いにモノレールに沿って往く。

 

山口へ。
 
 

2伯3日、旅行と言うには旅情はなく、観光と言うには観光せず、慌ただしくもなく、かと言って暇を持て余したわけでもなく…なんだか不思議な時間であった。そういや楽器持っていかなかったのも初めてだ。いつもなら楽器屋さんに長居したりレッスン受けたり友人と一緒に楽器吹いたりってことが多かったのにね。
たまにはこういうのもいいでしょう。
 
 

帰ってくると山口は雨であった。
あ…妻にお土産買ってくるの忘れたわね…。
 
 
2022夏 東京旅行記、これにておしまい。

それでは。