
舞楽大法要の熱気は最高潮に達し、太子の御魂が還御される。
難波芸能の真髄を見た。
前回の記事
それぞれの舞楽の間には、読経や声明が行われる(というかあくまでも法要なので、そちらも同じく重要ではあるのだが)。
堂内での次第は見ることができないため、境内をちょっと散歩してきた。

ワンちゃんいます。

離れた位置から石舞台を見る人達。三脚を据えている人も多い。

ひろーい。

かわE。

スタッフさんの待機場所かな。

あ、さっきのコ。



ちゃんと待っててえら〜い。


ワンちゃんいっぱいおる。

舞楽が再開される。

武の舞としてよく知られる楽曲で、纏う勇ましい装束は重さ15キロにも及び着るだけで一時間を要する。実は好戦的な舞曲ではなく平和を讃える曲で、胡簶の中に矢が逆さまに入っている(矢を継ぎにくい)ことや、魚袋に弓がないことが天下太平を寿ぐ意味であるという。

カッコEよねぇ太平楽。

三曲からなる組曲で、序にあたる「朝小子(道行)」でゆっくりと登台し、破の「武昌楽」では鉾を打ち振り勇壮に舞う。



急の「合歓塩」が聖霊会のクライマックス。鉾を置き軽妙な舞が繰り返されると、日没が近づいてきて…

太刀を抜くのを合図に舞台四隅の篝に火が入れられる。かつて暗くなるまで舞楽が演じられていた頃の名残である。


堂内では太子の御影が巻き上げられ還御される。


この日は4月とはいえ少し肌寒くあったが、篝に火がかけられると一気に熱量が高まった気がする。

入調(にゅうじょう)によって供養舞の終了が告げられ、これより法楽に入る。
最後の舞が始まる…。

採桑老(さいそうろう)
舞ったものは数年のうちに死んでしまうという伝承の残る秘曲。高齢の者以外は演じることができないとされる。


不老不死の桑葉を求めて山野をさまよう老爺が、年齢を重ねついに百歳の長寿に至る間に、だんだんと衰弱していく様子を描写している。
切り顎の老人面は、能の「翁」面の原型とも思われる。

杖にピヨちゃん乗っとる。

「舞うと死ぬ」という言い伝えは、舞人が高齢である(ことが多い)から単純に寿命という説もあるし、かつてこの曲を巡って刃傷沙汰があったことも関係あるのかもしれない。

ちなみに舞人の小野真龍氏(この他に120年振りに舞われた皇仁庭や鼓も担当されておりました)は小野妹子の末裔で、真宗の僧侶で文学博士でもあらせられます。
大役お疲れ様でございました。

さて、これにて聖霊会は終了。
ちなみに翌日会う予定だった友人も観覧に来てたみたいでした。
さて、ホテルにチェックインして飲みに繰り出しますかね…

そう言えばこの日一番テンション上がったのは四天王寺の聖霊会で蘇利古ハンカチをゲットしたこと。いいでしょ😊
さて、今回はここまで。

それでは。
つづき