おなかがよわいお坊さんはあわてない

おなかを壊しやすい僧職系男子、まち歩きのススメ。

周南市 : 粭島 階段巡り(1)

周南市の南端、大島半島の更に端。

ふぐの延縄漁発祥の地である小さな三角形の島で、煉瓦塀に囲まれた路地を巡る。

前回の記事

 

下松駅前を散策した後、どこか瀬戸内の離島にでも行こうかと考えてみたが、あいにく船の時間を考えると宿のチェックイン予定時刻までそれほど余裕があるわけでもなく…

じゃあ架橋されている島に行けばいいじゃない、ってことで大島半島の先、粭島(すくもじま)に行ってみることにした。

道中、あまりにも夏がナツナツしていたので車を寄せてバス停と海の写真を撮る。

夏がナツナツて。

 

徳島湾の湾口付近には国内唯一のワックス専業メーカーである日本精蝋の徳山(庄ノ浦)工場があり、大きなタンクが並ぶほか、瀬戸内の横行地帯へ出入りする大型のタンカー船が行き交う様が見られる。

 

短い橋を渡って島内へ。南東・南西は急斜面となっており、集落は北西の砂州から北岸沿いにかけて形成される。

 

さっそく島民の憩いの場を発見。どう見ても民家の佇まいだが、アットホームな感じがとても良い。

 

煉瓦塀の横に素敵な階段を見つける。

 

登っていきます。

 

結構長い坂で上からの景色が良さそうだったのだが、ヘビがいたので怖くて断念…

このときハーフパンツだったもので…

 

煉瓦造りの蔵。荷受用だろうか。

 

丸い飾り穴に海を香りを感じる。

 

第一島猫発見。

 

バス停の待合室にストライプが走る。

ポリカ波板から注ぐ光のシャワー。

 

寺社建立の志納金か何かだろうか、金額と氏名の書かれた札が掲げられていた。

 

船溜まりと、遠くに見える煉瓦造りの大きな煙突。

確か日本精蝋の土地がある場所はもともと神戸の鈴木商店の傘下だった日本金属の製錬所があって、その時代のものだったと思う…のだが詳しいことはよくわからない。しかし巨大だ…かつての鈴木商店の勢いを象徴するかのよう。

ちなみに山の中腹にももう1本聳えている。

 

漁船の船首部分に描かれた素敵な絵。

 

ノープランかつ下調べ無しだからこそ、出会いの瞬間の感動が大きくなる。

島唯一の小学校であった粭島小学校。思わず「おぉ〜…」と声が出てしまった。

 

両翼を広げたような左右対称の学び舎は、残念ながら平成24年に廃校になってしまったようである。

最盛期はかなり子どもがいたのだろうか、島の規模から考えると大きすぎるような気もするほどに立派な校舎だ。

 

この島のバス停はどれも良いものばかり。

まぁ好きな椅子座れよ。

 

煉瓦の小路を往く。暗渠の蓋と塀の基礎は石。

 

漆喰にさり気なく装飾が入る。

 

古民家を改装したホーランエー食堂

「ホーランエー(宝来栄)」とは、この地の伝統行事で、神輿を担いで海を渡る貴船のときの掛け声。

 

建物は大正元年に建てられたものらしく、空き家になっていたところを島出身の現オーナーが購入し、現在に至る。

営業は木・土曜のみでこの日は締まっていたが、蕎麦とピザがメインでこれがなかなか美味しいらしい。観光目的で訪れる人はおそらく殆どおらず(史跡巡りや釣り人がメインであろう)これまで飲食店のなかった島で、地元の人に向けて頑張っているというのはとても尊い

次回は是非ここで食べてみたい。

 

ホーランエー食堂のすぐとなりには貴布祢神社

貴船祭はここの海上安全を祈願する祭祀で、詳しい縁起は不明だそうだが、慶安年間(1648-1651)頃に始まったと伝わる。風待ちの港であったことに由来するのだろう。

 

静かな木陰で少し休憩する。

境内の隣は海。波の音が心地よい。

 

神社の周りをぐるりと回ってみる。まるで海面を表しているかのような煉瓦塀が印象的。

 

島内では至るところで煉瓦が見られる。

このコンクリブロックはあまり見ない形だ。

 

時の流れが穏やかに感じるようなさざ波と、暴力的なまでに強く照り付ける夏の日差し。紛うことなき夏だ。

 

海を望む墓地。奥にも煉瓦塀が。

 

その視線の先には大津島。

こういうときPLフィルター欲しくなるね。

 

さて、今回はここまで。

階段成分薄くなっちゃったな…まぁまた次回にみっちりと。

それでは。

つづき