門司港にはアーケード付き商店街が4箇所存在するが、そのうち3箇所は老松町内にある。ショッピングセンターが台頭するこの時代において、個人商店ばかりの商店街など、もはや必要のない存在なのかもしれない…とぼくは思いたくないのだ。人情?郷愁感?なぜだかわからない。答えを求めて今日も商店街を歩く。
前回の記事
前回、前々回と馬場遊廓について触れた。遊里に隣接する老松町には、大正時代に富山で起こった米騒動が飛び火し、闇市をルーツとする公設市場が生まれたという。それが現在の中央市場である。
さっそく中に入っていこう。
細く伸びた通りには降りてしまったシャッターが目立つものの、現在も営業を続ける店舗の灯りが優しく語りかけてくる。
「軽食 喫茶 ひぐち」。呼ばれた気がした。入らずにはいられない。
初めて訪れたはずなのに、どこか懐かしい…そんな感覚を味わってみたくはないかい?
(ちなみにぼくはここに来るのは初めてではない)
注文はいつもの。
カレーと、食後のクリームソーダ。
同じ屋号を掲げる、隣の「ファンシーショップ ひぐち」はもうやっていないのだろうか?空いているところを見たことがない。
これは別の日に撮ったやつ。日曜日は流石にどこもお休みのようだ。
以降、撮影日がまちまちの写真が交じるが、ご了承願いたい。
天井は高いのだが、蛍光灯が軒の高さに設置されているため、開放感はそれほどでもない。縦横に走るパイプがインダストリアルな雰囲気によく合う。
時折振り返りながら進む。
洋裁店がクリエイターのアトリエになっていたり、鮮魚店が古書を扱うお店になっていたり。緩やかに死へと向かうばかりではない。新たなエネルギーも確かにあるのだ。
雑多なものが雑多に並ぶ。こういう逞しさを見習わなければな、と思う。
一旦、一方通行の細い道路を挟むが、アーケードは途切れない。
対岸(?)へ。
天井の明り取りから差し込む陽光がシャッターを照らす。
しかし今は営業してないにせよ、鮮魚店の看板の多いこと!かつてはそれほどまでに賑わっていたのであろう。
奥ではご婦人方が井戸端会議。
かつてはこの放送機器から音楽が流れる時代もあったのだろう。
かつての中央市場の様子。
今も昔も、地域の人々の生活に寄り添ってきた。
この絶妙なクランクは、ゆっくり噛みしめるように味わいながら歩かなければならない。きっとそういう決まりだ。
細いアーケード内での自転車の乗り入れは御法度。古事記にもそう書かれている。
青果店の生き残ってる率が高いように感じる。
新しいお店にも、昔からのお店と同様の看板が据えられる。
規模の割に間口の狭い通りは、闇市の名残だろうか。
かつてこの場所には陸軍の造兵廠があったという。やがて公設市場となり、現在の中央市場へと姿を変えた。
商店街を関門トンネル方面に抜ければ老松公園、そこには忠霊塔がある。
ぼくたちの今日は、戦後復興を支えた先人たちの計り知れない努力の上に築かれていつことを忘れてはならないと、珍しく真面目なことを考えながら徘徊する日があったっていいじゃないか。
それでは。