日本最大の無煙炭の産地であった美祢市は、炭鉱の発展に伴いいくつかのまちが形成された。鉄道の敷設や軍需の高まりによって一時は賑わいを見せた集落も、資源の枯渇、更にはエネルギー革命によって閉山への一途を辿る炭鉱とともに衰退していく。
かつて鉱夫やその家族たちによって栄えた町並みは、寂しいほどに静かで…
前回の記事
秋芳町を中心に巡った前回に引き続き、今回は旧市部の集落を見ていこう。
まずは大嶺・麦川地区。
以前は…といってももう随分前のことらしいが、駅前の商店街として栄えていたようだ。
曇天の空模様が、炭鉱のあった町によく似合う。
かつて鉄道駅があった場所からほど近くに、旅館のような立派な佇まい。
時計屋さんであったようだが、既に閉業されているようだ。
こちらの商店も営業されている様子はなかった。
山手に大規模な植物ワイパーを発見。
民家の壁にて。
どうでもいいが、ぼくはつい最近まで「へのへのもへじ」のことを「へのへのへもじ」だと思ってた。
「国吉旅館」も閉業済み。
炭鉱関係者の定宿であったに違いない。
前回に引き続き、タイル張りのたばこカウンター。
実はこういったたばこカウンターのありそうな集落に目星をつけて、Googleマップで下調べをして出かけているのだ。
またもトマソン発見。絶対階段あっただろ。
この集落にはもう1箇所古いたばこカウンターがありまして…ここ。
水色と白のチェッカーフラッグ柄のタイルが爽やか。
隣に吊るされたデッキブラシがまたいい雰囲気演出しますねぇ。
◯◯◯ド舎 河室時計店
◯に入る文字は何だろう?
素敵なショーケースのある家屋(元商店?)も見逃したくない。
こっち向かないかぁ。
お次は旧豊田前村の麻生集落へ。
肥中街道(ひじゅうかいどう)の筋に成立し、炭鉱社宅の住人らで賑わった商店街。
日野川沿いにのバラック長屋は、トタンに「質流」の文字が読み取れる。
「食堂」とも書いてある。
建物が少し空を仰いでるように見えるが…たぶん後ろに傾いてるな。
錆の美。
モジャの美。
ここには何もない…しかしぼくにとってはこれが良いのだ。
男子専科 紳士服 洋品 イケダ
自前アーケードの魅力。
タイルのカウンターと煉瓦が土台のショーケース。
食堂だったのかな。
こいつを見に来た。
はい、優勝。
打ち出の小槌にPeaceの銘。TOBACCOのフォントも良いし、小さくあしらわれた☆マークがアクセントに。
この形の土台部分が結構見かけるので(といってもタイルのカウンター自体少ないのだが)、おそらく既製品なのだろう。
街道筋だった頃の名残はほとんど見られない。
わーいデパートに来たよ。
南国風のウォールアートのある美容室。
知らない町で、乗ったことのない路線のバスを見送る…
旅がしたくなってくる。
廃屋の壁で見つけた「野球印」の燐寸(マッチ)の印字。
こんにちはトマソン。
廃自動車屋さんの前に、跳ね馬のオブジェ。
こんな田舎でシュトゥットガルトの車を売ってたのか?それともモデナ?
旧街道筋の端っこには、こんな素敵な歯科。
今でも營業されてるのだろうか?
田んぼの中に、実に立派な佇まい。
素晴らしい御殿である。
さて、今回はここまで。
それでは。