おなかがよわいお坊さんはあわてない

おなかを壊しやすい僧職系男子、まち歩きのススメ。

下関市 : 長府の町並みと階段(1)

古くは仲哀天皇が滞在され豊浦宮(とゆらのみや)を興し政務を摂り、戦国時代には長府毛利家の城下町として栄えた長府。歴史あるまちの中心地からやや外れると、眼下に関門海峡を望む階段が。

…………

 

久々に下関市の階段巡りの記事。

けっこう写真のストックはあるんですけどね、更新が全然追いつかなくて…

 

長府といえば毛利藩のお膝元。今でも練塀の武家屋敷や多くの寺社が残る古い町並みが人気の観光地でもある。

しかし今回はそこをスルーして(そのうちやります)、長府の階段巡り。

 

下関市民なら長府に階段群なんてあったっけ…?とお思いだろう。

小さな山があるので意外と高低差はあるものの、坂道が多く階段密集地は無いと思われがちであるが、実は国道9号線沿いに素晴らしい階段が点在している。

 

さて、歩いていこう。

その前にちょっと腹ごしらえ。

黒門町にあるコーヒーハウス ブリッヂ。小さな頃から祖父によく連れてきてもらった馴染みの店です。その店名の指すとおり、背後には関門橋が。

 

窓際の席で早鞆の瀬戸を望みながら、厚切りトーストのスペシャルモーニングをいただく。このあと結局、本を読み出したりして1時間ぐらいぼーっとしてしまいました。

 

気を取り直して歩きます。

まずは浜浦町エリア。新興住宅街(といっても結構古くからあるが)で、狂い石段のようなものは見られないが、大きな階段がいくつか。

 

山口県の県道のガードレールが夏みかん色であることは以前にも述べたことがあるが、この手摺もそれを意識しているのだろうか。

 

対岸は門司 田ノ浦のあたり。

 

???

 

ネコチャン!

 

海を望む階段というのは、それだけでもう絵になる。

 

浜浦町は坂もいいぞ。

 

ふたたび国道9号沿い、海岸線をなぞって西へ歩く。

 

こちらのお宅には立派な階段が備わっているが、緑に飲み込まれてしまっている、そして海を望むローケーションの家屋はやや洋風建築チック。

 

立派な石垣を築いた白壁に囲まれる土地。もういえば建物は無いようであるが、少し頭を覗かせる倉庫はどことなく近代建築風の意匠が。

 

アプローチは階段なのだが、一部切り取られている。

ここは車庫も兼ねているのだ。ややトマソン味がある。

 

海、バス停。日差しを遮るものは何もない。

 

急に現れる一派な石段と、登りきった先の行啓記念碑。

ここは前田地区、かつて毛利綱元が御茶屋を作らせた山陽道の終着駅。基本的に長府の中心地区から唐戸方面に向かうには国道9号の海沿いがメインルートであるが、昔は野久留米街道という山中の峠道(というほどキツくはないが)が幹道であった。

そしてこの場所の隣には…

 

なんかバナナのマークのマンションのおかげで随分シュールな画になっているが、幕末期の攘夷戦争において、四国連合艦隊を相手に戦った地である前田台場跡。ここに大砲が据えられていたが、ご存じの通りボロ負けを喫し、攘夷から開国へと舵を切る契機となったの言うまでもない。

 

とはいえ特に何かがあるわけでもなく、広場のようになっているだけである。重要な史跡なんですけどね…。

これは旧軍の弾薬庫かしら?

 

いまでこそ海際の建物に視界を遮られるが、かつてはさぞ見晴らしが良かったであろう。

 

さて、ここからは海より一本中の通り、旧山陽道(赤間関街道)のあたりを歩いてみよう。桜が山によく映える季節だ。

 

高低差のある三叉路。

 

このあたりは不思議と鉱滓煉瓦ではなく赤レンガの塀が多く残っている。

 

嘗て街道を歩いてきた人たちは、果ての地で見たこの瀬戸の眺めにどのような思いを抱いたのだろう…

 

前田地区の古くからの家屋群を抜けて更に西へ。

 

このあたりは眺望の良さを売りに開いたのだろう、ちょっと尋常じゃない豪邸がちらほら。地元企業の社長宅などが建ち並ぶエリア。

 

斜面に建つ家屋は、平地を確保するため石垣が築かれ、南に向いた瀟洒な建物ばかり。

 

行き交う大小の船。潮の速さが見て取れる。

 

デザイナーズ建築風の物件が多く建ち並ぶ中、少し古いながらも洒落た洋館付き物件など。

 

関門橋が本当にすぐそこ。

 

再び海沿いへ。

 

 

さて、今回はここまで。

それでは。

 

 

つづき