おなかがよわいお坊さんはあわてない

おなかを壊しやすい僧職系男子、まち歩きのススメ。

下関市 : 山陰地区の集落巡り 安岡・特牛

下関の日本海側、その大部分が海岸線近くに走る国道191号線「北浦街道」に沿って、山陰の小さな町を見ていく。

風光明媚な眺望の中にある、人々の暮らし。

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我がまち下関市は三方を海に囲まれており、山陽と山陰のどちらも有する稀有な自治体であるが、近代においては山陽側のほうが市街地として栄えている。唐戸は日本有数の港町として、長府は国府・城下町の名残によって、小月(清末)も藩政時代の流れで…それぞれ多くの人が集う場所であったからそうなるのも必然だ。

一方、山陰方面というと、ぼくらが中高生の頃は「田舎者」のイメージで語られ、ローカルな話になるとイジられることが多かったように思う。都会から見たらどっちも似たようなもんかもしれませんが、子供の頃ってそういう謎のヒエラルキーみたいなのありますよね…

ちなみにぼくが住む地区は山陽に属するもののド田舎です。

 

さて、まずは安岡地区を歩く。

安岡の街区は広く、漁村地区・農村地区・商業地区・住宅地区が結構はっきりと別れている。古墳などの遺跡が多いことでも知られている。

 

市内の銭湯で唯一木材で沸かす、「だるま湯」さんがあるのも安岡地区。

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今回はかつての商業地区の中心であったであろう場所を歩いてみた。

数年前まではこの通りも上記写真のような平入りの商家がもう少し並んでいたように思うが…ここ何年かで随分更新されてしまったようだ。

 

アースの琺瑯看板。

 

素敵なフォント…

 

2階壁面の掃き出し窓がダイナミックな商店。

 

スニーカーかと思ったらネコチャン!だった。

 

アールデコ風の意匠を持つのは旧安岡町役場。

昭和10年に竣工した。

 

役所としての役割を終えてからは、すぐ近くの綾羅木郷台地遺跡の出土品が保管されていたが、平成7年に下関市立考古博物館が開館して収蔵品を移した後は放置されているようだ…

 

老舗っぽい和菓子屋さんと、中に入りたいネコチャン!

 

少し外れの方に歩くと、ハリボテ感の強い看板建築。

 

元スナック?既に無住のようで、玄関サッシには無数のチラシ類が挟み込まれていた。

 

これといって見どころになるものが多い集落ではないので、少し移動。

 

難読地名で知られる「特牛」(こっとい)にやってきた。

平成の大合併にて下関市に併合された旧豊浦郡に属していた。このあたりまで来ると、下関市って言われてもやや違和感を覚える昭和末期生まれです。上記過去記事の川棚温泉も旧豊浦郡ですね。

 

下関市民ならみんな読める(ハズ)だが、その由来を知る人は少ない…

というかぼくも知らん。

 

無人駅ではあるが、有猫駅である。

 

駅周辺に市街地は無く、難読駅であるが故に知られていると言っても過言ではないのだが、実は近年になってもう一つよく知られるようになった理由がある。

それは角島の最寄り駅であること。

ここ数年は映えスポットとしてインスタグラマーとやらの聖地のような扱いを受けている角島であるが、かつては架橋されていない離島であり、にわかに観光客が訪れるような場所では無かった。角島大橋の開通後しばらくして、日本の絶景!みたいな触れ込みでキュレーションサイトやらで取り上げられ始め、今や山口観光の折には外せない名勝になっている。

 

まぁ素晴らしく風光明媚な場所であるのは間違いないし、ぼくも自宅から小一時間で行けるような場所なので年に数回は訪れるのだが、そういったキラキラした場所はこのブログで扱うにはやや性質が異なる気がするので、海バーン!橋ドーン!な角島の写真が見たい方は、インスタで検索するのをおすすめする。

 

とりあえず一枚だけ角島大橋の写真を貼っとこう。

島内の集落についてはそのうち記事にするかも。

 

さて、特牛の町並み。ちなみに駅からは結構遠いです。

右の道路が国道191号線で、鋭角に切れ込む細い路地がかつてのメインストリート。

右にアイスクラッシャーが見えるが、道路のすぐ横は漁港である。

この地で穫れる剣先イカは「特牛イカ」という高級ブランドだ。水深が深く、イワシ漁も盛んである。

あ、小型犬を二匹連れて散歩しているのは妻です。

 

呉服店洋品店として未だ現役で営業中。

令和4年の謝恩セールはまだですか。

 

天候がコロコロ変わったり店が開いたり閉まったりしてるのは撮影が複数日に跨っているからです。

 

いい。

 

サッシを更新してもモルタル塗りの屋号はオリジナルのまま。素敵。

 

妻入りと平入りとが入り交じる。

木製の引き戸とショーケース。

 

古くは明や朝鮮との貿易港として、江戸時代から明治にかけては北前船の寄港地として大いに賑わったそうで、随所にその名残が見られる。

 

遊里が置かれていたこともあり、その面影を残す建物も見られた。

昭和5年刊行の『全国遊郭案内』によると、特牛町遊郭には妓楼7軒、芸妓30人とある。

 

この建物のあたりには、おそらく近年まで旅館を営んでいたと思しき家屋が見られた。

 

帰宅したのちGoogleMapで確認してみると、周辺にいかにもそれっぽい建物があったようだが…現在はそのうちの数件が解体されて無くなってしまっていた。

 

お、シンプルだけど擬洋風建築。

 

近づいてみるとスナック跡だった。

「漁火」の文字は褪せて読みにくくなってしまっている。

 

二階サッシ周りの意匠が気になる床屋。

 

鉱滓煉瓦造りの旧特牛製網所(特牛製氷所)。

現在は使われていないようであるが、越屋根の赤と白くなった煉瓦のコントラストが美しい。

 

さて、今度は国道191号線を渡って海沿いの路地を歩いてみよう。

 

立派な造りの蔵。こちらも鉱滓煉瓦を用いている。

 

旧特牛郵便局。
デンティルとレリーフに目がいきがちになるが、玄関周りの控えめな装飾と破風にも注目したい。
 

現在は民家として転用されている。建造年・設計者などは確かな資料を見つけられず。

 

海が近くなるとネコチャン!が増えてくるね。

 

釣りをする人。

 

あ!

 

3匹がゆく。

 

外ネコ、家ネコ…

モフモフと散歩。

なんか後半、ネコチャン!ブログになってますね…

 

 

さて、今回はここまで。

それでは。

つづき

 

onakayowai.hatenablog.jp