
銅や石灰石の採掘で知られ、数々の史跡や文化遺産を残す香春町。
古代、都と太宰府を結んだ官道の時代より変わらず交通の要所であるこの地には、今なお宿駅の名残が見られた。
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過去記事でも書いたことがあるが、田川は母の出身地であり、小さい頃は度々訪れていたのだが、祖父母が亡くなってからというもの特に訪れる理由もなく、たまに見知った場所を町歩きする程度であった。
どうせならあまり知らない場所にも立ち寄ってみようと思い立ち、車を走らせ向かったのは採銅所駅近く。このへんむかしから車で通り過ぎるだけだったのよね。

採銅所駅。桜の名所としても有名である。
炭鉱のイメージが強い筑豊であるが、奈良時代にはこの周辺で銅の採掘が行われたことから"採銅所"と呼ばれるようになったという。

駅舎は大正15年築の近代建築で、小倉鉄道開通時の中で現存する唯一の建物。

2011年に改修工事を完了し、良好な保存状態が保たれている。





レトロな佇まいで、ホームのベンチに座って電車を待つ時間が緩やかに流れていそうだ。

さて、駅から下って秋月街道(旧太宰府官道?)沿いを歩くといきなり素敵なタテモノ。
よく見たらベランダは洋風衣装だな…木賃宿だったのかな?

旧街道らしく、立派な屋敷跡の塀が連なる。
ん…?

この長屋門…何か違和感…。

洋風ドア着いとるやん!

しばらく南進する。

次の目的地までの道中に立ち寄り。欅坂橋梁。



迫受石を起拱角に合わせて鋸歯状に加工しアーチ部と壁部を接続するのは珍しい例である。

香春町へとやってきた。「藩庁跡」と書かれた石碑から分かるように、ここにはかつて臨時の政府が置かれた場所であった。
明治維新の折、小倉藩を中心とした幕府軍と長州軍との戦い(小倉戦争)の最中、高杉晋作の指揮する奇兵隊や報国隊などに退けられた小倉藩は、自ら小倉城に火を放ち本営を香春へ退く。
その後和議が成立してからの慶応三年〜明治二年の短い期間ではあるが、この地が「香春藩」として小倉藩政の中心地であったという。



周辺には立派な門を持つ邸宅が多い。


平入りと妻入りの住宅が混在する。

電通……?🤔

旧い農協マーク、好きです。

こちらにも立派な塀と、重厚な破風…と思ったらクリーニング屋さんの入口のようだ。

そこから更に繋がって、商店っぽい部分を形成。
間取りどうなってるんだろ…建物の真ん中が階段なのは間違いなさそうだけど。
さて、今回はここまで。

それでは。