美祢市の集落巡り、たとえ小さな規模でもじっくり歩いてみると味があるものだ。
およそ観光とはかけ離れていようとも、住人の息遣いが見られることが街歩きの醍醐味である。
前回の記事
まずは重安地区。
重安駅。ぶっちゃけこのあたりに何があるのかよく知らないんだよね…
ずっと"じゅうあん"だと思ってたのはナイショ。
一日の乗降客数は1ケタになってしまったという。
反対側のホームに渡るには一度線路へ降りなければならない。
なんとなくベンチに腰掛けて、誰かを待ってみたくなる…
駅前商店の跡に残るトマソン。
静かな駅前通り。暮れていくまちのうら寂しさ。どこかは鼻の奥がむず痒くなるような感覚…嫌いではない。
駅前旅館も既に営業していないようだった。
次は於福地区。
毛利家分家の志道(しじ)氏が治めた地で、現在は道の駅(温泉あり!)があることから、下関方面から秋吉台に至るドライブルートとして立ち寄る人も多いのではないだろうか。ぼくもたまに道の駅にブルーベリー狩りに行きます。
食堂部。
まちらしいまちがあるわけでないが、少し山の方へ向かえば古くからの家並みが見られる。水路が美しく整備され印象的だった。
鶴の鏝絵の入った蔵。
紋の入った家屋や蔵も多く見られる。
「満」…これは紋なの?
すぐ隣の石入集落にも紋入りの蔵が。
保存状態も素晴らしい。
大木と、石垣の上に立派な木塀を持つ屋敷。庄屋だろうか。
中陰松皮菱の装飾。
次は大田・絵堂地区。
まずは奈良時代から銅の産地として栄え、「東大寺の大仏さま」の原料を産出した大田の町並みを見ていく。長登(ながのぼり)銅山で採れた銅は大変質が高く、幕府の命によって鋳銭所が開かれ、寛永通宝の鋳造などにも用いられた。
金物屋さんの直線的で構成されたファサードの堅い印象を、面格子の円が和らげる。
タイルと角度のついた入口が瀟洒なこの建物は銭湯跡だろうか…?
いや、なんとなく劇場っぽくもある。隅切り部の大きい壁に看板を掲げていたとかありそうだ。
かわE。
デザイン性のあるベランダ部。入口が複数あるが、スナックかなんかだったのだろう。
秋山衣料…はい。文句なしにオシャレです。
平入りの古い家も散見される。
技術部。
公民館的なやつかな。
歴史に明るい方なら、この地で維新の幕開けとなった天下分け目の戦いがあったことをご存知だろう。
慶応元年には大木津(おおこつ)・川上口の戦いが繰り広げられた。
萩政府軍と騎兵隊ら諸隊との衝突。多勢に無勢であった俗論党を、山県狂介(有朋)の命による奇襲によって退け、尊皇攘夷の機運を高めた。
激戦区であった川上口と、呑水峠(のみずのたお)には戦跡碑が建てられる。
大田川の川上口あたりには、「流れ橋」という紐で結んだ木の板を石の上に渡し、増水時には流れてしまうもののまた紐を手繰って掛けられる橋があったのだが…どうやら改修工事中だったらしく、確認できなかった😭
さて、今回はここまで。
それでは。
つづき