商店街・市場
下関で「飲もうか」というとまず候補に上がるのはこのまち。 コロナ禍でめっきり繰り出す機会も無くなってしまったが、また友人たちと集まって一杯やりたいものだ。
山口県最大の歓楽街、豊前田。 飲み屋が密集するこのまちは、かつて遊廓があったとされるものの、現在ではその面影を残す建物は全くと言っていいほど残っていない。 夜はソシアルなビルのネオンがまばゆく光り、行き交う人々の楽しげな声と、タクシーの行列…
才ノ森より柳町に遊里が移転して後、およそ10年ほどで売春禁止法が施行、赤線は廃止となる。現在でもスナックなどの飲食店が立ち並ぶエリアであるが、より駅前に近い昭和町付近ではソシアルなビルも多く見られる。 日中の盛り場の風景と、周辺で見つけたトマ…
駅前商店街のアーケードを抜けるとかつて遊廓があった地帯へ。 現在も色街の香りを残す盛り場の町並みを中心に歩いた。
いくつかの商店街から構成される徳山駅前の中心商業地区。 訪れるたびに空き店舗が増えていく様子に僅かの寂寥を感じつつ、往時の賑わいの名残を求めて歩いた。
周防灘に面し、明治時代に設けられた海軍の煉炭製造所に端を発する重化学工業のまち、周南市。かつては工業の発展とともに、徳山駅周辺の市街地は大いに賑わいを見せたが、モータリゼーションの影響からは逃れられず、商業規模は縮小している。 再開発によっ…
防府 銀座商店街。アーケードの外側を見ていこう。
防府市三田尻から萩城までの御成道として開かれた萩往還。かつて維新志士たちが往来したこの街道の途上には、日本最古の天満宮とも言われる防府天満宮が鎮座する。その門前町の賑わいは歴史とともに南下し、商業の中心地が駅周辺に変遷してきたことが伺える…
門司区老松町のアーケード商店街とその周辺を散策。
門司港にはアーケード付き商店街が4箇所存在するが、そのうち3箇所は老松町内にある。ショッピングセンターが台頭するこの時代において、個人商店ばかりの商店街など、もはや必要のない存在なのかもしれない…とぼくは思いたくないのだ。人情?郷愁感?なぜだ…
交通の要衝、在郷町として栄えた厚狭。 賀茂社の荘園であったとされるこの地には、かつて鴨川と呼ばれた厚狭川が町を横切る。川に架かる橋は鴨橋といい、京に倣ったまちの名残を今も残している。
山陽と山陰、かつてそれぞれの街道への分岐であり、現在でも山陽本線と美祢線への接続駅がある交通の要衝、厚狭。 寝太郎の伝説が今なお語り継がれるこの半宿のまちにて、往時の繁栄の名残をさがして歩いた。
普段は盛況な枝光中央商店街だが、この日は直前に階段めぐりをしており夕方だったため店じまいを始める店舗が多く、降ろされたシャッターの儚げな印象ばかりが残ってしまった。 そういえば儚げな美人画で知られる竹久夢二は、かつて枝光に住んだことがあった…
官営八幡製鐵所の操業とともに発展した八幡東区。戦前は合併前の北九州5市の中で最も人口が多く、日本の近代化と高度成長期を支えた工業地区だ。 そんな「鉄(くろがね)のまち」のまちにぽつんと残る、木造アーケードを歩く。
筑豊…と聞いてほとんどの人が思い浮かべるのは、田川や飯塚、直方といった、かつて炭鉱で栄えた地域のことではないだろうか。 「筑豊商店街」は八幡東区、山路ICからほど近い場所に存在する。戦前に興り、今年で99年を迎えた、北九州市内に現存するうち最古の…
観光地に行ったときに、日中の盛り場や変なビル、おおよそ観光とはかけ離れた寂れた路地などが気になってしまい、観光スポットに集中できないぼく。この病気どうやったら治りますか…? 坂のまち、猫のまち、古寺のまち、尾道。 風光明媚な瀬戸内の景色と、昭…
前回に引き続き、美祢市を探索。 古く幕末には奇兵隊の本陣を構え、明治期には売薬で富山と並び称されるほど栄えたという伊佐地区(旧伊佐町)。近年においては日本随一の石灰石の産出を誇り、どこにいてもセメント工場の煙突が見える古い街並みには、かつての…
山口県西部の内陸に位置し、日本最大のカルスト台地「秋吉台」、同じく日本最大の鍾乳洞「秋芳洞」を有すことで知られる美祢市。自然が多いまちであると同時に、宇部興産や太平洋セメントが工場を構える工業都市でもある。 そんな美祢市の中心駅、美祢駅周辺を散…
今なお営業を続ける店舗が残る、木造アーケードの到津市場。 かつての賑やかさは何処へ、大部分が廃墟と化してしまった。 それでもなお我々の心を掴んで離さない魅力を感じるのは、単に前近代への懐古主義からくるものだろうか。それとも大型商業施設等の台…
木造アーケード…これから先の時代に新たに建てられることは無いだろう。 現存するそれらは、緩やかに絶滅へ向かっている。残された時間は長くない。 生物に例えるなら、いのちが途絶える瞬間に最後の力を振り絞り、一瞬の煌めきを見せる…。木造アーケード商…
午前中の仕事を終えて車で移動中、信号待ちをしているときにふと横を見やると、目に飛び込んできたのは"木町市場"と書かれた装テン。思わず「あ!」と声が漏れてしまった。今もなお北九州に現存する、いくつかの木造アーケード商店街のうちの一つである。ここ…
江戸時代から小倉城の城下町として栄えてきた商業地・小倉には、たくさんの商店街があります。 以前紹介した旦過市場をはじめ、「シロヤ」のパンや「揚子江」の豚まんでおなじみ小倉駅前商店街、参勤交代往還で長崎街道へと続く京町商店街、他にもちゅうぎん通り…
雨の中、前回に引き続き、宇部市中央銀天街の周辺を散歩。
前回に引き続き、宇部新川駅前の探索。 最盛期には市内一の賑わいを見せていたという、アーケード付き商店街の中央銀天街周辺を歩いてみよう。
宇部市 新天町に続いて、宇部新川駅周辺を散策。 山口県西部にお住まいの方以外には意外かもしれないが、宇部新川駅周辺は宇部市の実質的な中心部で、宇部駅周辺よりも栄えている。ちなみに「新川」という地名はないが、この一帯は総称してそう呼ばれている。 …
宇部市 新天町界隈を歩く。 前回に続いてハミングロードを見ていこう。
宇部市といえば、宇部興産をはじめとする重化学工業のまちですが、その市街地にある新天町は、かつて商業の中心地として栄え、大変賑わったといいます。 その新天町のメインストリート、「ハミングロード」とそのその周辺を探索。
伊田駅はもともと洋風建築の可愛い駅舎でしたが、一昨年既存の建物を残しつつリニューアルしたそうで、レトロ可愛いホテルになっています。客席からホームと列車が見えるそうです。
炭鉱で栄えたまち、田川のレトロ商店街を散策、後藤寺編。 よく福岡、特に北九州は修羅の街とかネタにされますが、本当に修羅ってるのは筑豊、主に田川郡の香春・大任・川崎のあたりだと思います。1960年代に炭鉱が閉山し、人口の流出によって過疎化が進み、深…
ホタルの里、豊田町西市を歩く。 中世においては地名の通り市場が興り、江戸時代以降は宿場町として栄えたようですが、現在ではほんの少し古い町並みを残すのみ。廃屋が多く、かつての繁栄はあまり感じられません。